アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成13年2月28日(水曜日)
背戸の建付けが日に日に悪くなり修理する。
敷居の溝を深く彫り、戸が当る柱の部分を削ってみた。
滑りは良くなったが、たぶん戸車が壊れているのだろう。
最後の20cm程で引っ掛ってしまう。
少し持ち上げ気味にするとスムーズに開け閉め出来るのだが、普通に開閉しようとしたら、まずびくともしない。
在室中はよほどの事がない限り、背戸を閉める事はないが、強風の時などは表に在室中の表示をして閉めることがある。
そんな時訪ねて来た人で戸を開けられた人は一人もいない。
別に自慢にはならないが、今時めったにない建付けの家であるのは間違いがない。
先日、画室の台所を覗いた客が溜息をついていた。
子供の頃の生まれ育った家の台所そのままなのだそうである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月26日(月曜日)
朝から強い西風の吹く日であった。
その風を背に受けて画室へと向っている時気付いた。
うまく風に乗ると、風は姿を消してしまうものだということを。
自転車を止めたとたん、風はかなりの強さで背中を押している。
びょうびょうと耳元を吹き過ぎていく時に体温も奪っていくのに、一旦その風に乗ると筋肉は20歳若返り全身が軽く火照ってくると得した気分になるのだが、帰りの事を考えるとぞっとしてしまう。得した分の精算が待っているからだ。
実家の兄の言うことには旧50号線は東に向って緩く下っているのだそうである。つまり土地全体が東南に向って緩く傾斜しているという事だ。自動車に乗っていたら絶対に分らない実感を今味わっている。大地の傾きと大気のパワーを、五体全体が受け止めて、時には喜び、時には悲鳴を上げる。
楽あれば苦あり、逆もまた真なり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月25日(日曜日)
そんな事当り前じゃないかと言われてしまえばそれまでだが、平成の前が昭和、その前が大正でその前は明治時代である。
そして、驚く事にその前はあの江戸時代という事になる。
この画室が建てられたのが江戸末期、いわゆる幕末の頃だから、その頃この家に住んでいた人達もきっとチョンマゲを付けていたのかと思うと、何だか現代なんかたいしたものではない様な気がして来るのが不思議だ。
考えてみると、父母の親は間違いなく明治初期の生まれだし、中には江戸時代の生まれの祖父母もいるはず。
遥か遠くの過去であると思っていた江戸という時代が、実は意外に近くであったのが面白い。
今日、本家の戸主が施設から里帰りしているようだ。
介助者同伴の里帰りであるが、500年以上綿々と続いた一つの家系を育てた家が、普段は無住となっている。
感傷がつかの間訪れた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月24日(土曜日)
昼休みに庭の梅の木を眺めながらこんな考えがよぎった。
もしかしたら人間は今自分が生きているこの時空の他にもう一つの時空にある世界、いや、一つとは限るまい。
いくつかの異なる時空に存在している世界の住人でもあるのかも知れない。
たぶん誰にでも経験のある、あの胸をしめつける様な懐かしさを伴ってせまってくる強烈な既知感。
ふと見つけた丘の上の中腹にある建物が目に入った時、現実のその建物に重なって、全く別の美しく優しい佇まいの家がどこかにあったことを何の疑いもなく想い返している自分に驚いたことはないだろうか。
通い慣れたいつもの道の、あの角を曲った先には見慣れた街角ではない、時々夢の中に出て来るあの街角が待っている、そんな時がいつか来るのかも知れない。
子供の頃のことだった。
家の裏の屋敷の塀に沿った小道を行くと太い欅の根かたに古びた石の祠があり、そこから小道は右に曲って薬師堂の裏に出るのだが、堂を右曲りするか、それとも左曲りするかで、前の広場に出た時の雰囲気が全く違って感じられたのだった。
そして忘れもしないあの日、左手で堂の壁を触りながら目をつぶって周りを一回転している時、いつか父の運転する自転車の後に乗せられて行った、子供にとっては外国にも等しい遠い街のコの字型の露地の角にあった石屋の前にその時の自分はまぎれもなく立っていた。
道のぎりぎりまでうず高く積まれた白みかげのりん片の山の、鼻の奥につんとくる独特のにおい。
店の低い軒先に被さるように枝をのばしたイチジクの腐りかけた実が放つ甘ったるい芳香。
目を開ける勇気が無く、もう一回りした後に恐る恐る開いたまぶたの奥に映った風景は、いつもと変らぬ薬師堂前の広場だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月23日(金曜日)
今朝、久しぶりに前の畑の亀山さんが採れたてのネギをいっぱい抱えてやって来た。
「本当に久しぶりでしたね。別に変りはないんでしょう」
「おかげ様で変りはないんですが、今年の冬は寒くてね。とても出て来る気がおきませんよ」
やはり今年の寒さを痛感したのは私だけではなかった様だ。
今日も昨日に続いてストーブいらずの暖かさで、気が付けばいつの間にか画室の庭は犬ふぐりの花盛り。
タンポポが一輪黄色い花をつけていた。
そんなことを話題にひととき雑談する。
それにつけても待っている時にはなかなか来ない郵便屋さん。
依頼先から家紋の見本が届くはずなのだが、仕事の手順が少し狂ってしまったが、忙中に閑ありというところか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月20日(火曜日)
絵描きのはしくれである以上、掛け値無しの技量を恥をしのんで世に問わなければならず、一つの方法として淡彩画をオークションに出品したが、知識、経験共に不備であったために、せっかくアクセスしてくれた人達を不愉快な気分にさせてしまった。
始めは最低落札価格というのを設定しておけば、作品の実質的価値を大きく上回る様な金額にならずに希望者に買ってもらえると勘違いしていたのがわかり、途中から設定を変更して入札の開始価格をアトリエでの売値をやや下回る金額にして表示したのだが、その前の開始価格が一律に500円としていたのに比べて、何だか変な具合になってしまった様である。
友人のA氏の助言でそうしたのだが、やはりもっと勉強しなければだめだと痛感した。
ともかく、貴重な反省材料を得たと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月19日(月曜日)
相手を傷つけないように枯草をそっとのけて見るとあったあった。
まだ10cm位の大きさで梅茶色の表皮を硬くまとったフキノトウが、文字通りボコボコと辺り一面に生えて来ている。
この分だとあと2〜3日すれば充分に収穫出来るだろう。
フキノトウもいいが、その年の最初のフキはとても軟らかくてあくも無く、葉も茎もとったその場で煮て食べるのだが、これがすこぶる美味い。
朝の内に庭に出て適当な分量を収穫しストーブにかけておけば、昼めし時にちょうど間に合う。
どうせ一人では処分しきれないので、残りは客の茶うけになるという訳だ。
他の用にかこつけてこれを目的の来訪者も結構多いのではないかと、これは最近のかんぐりである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月18日(日曜日)
「先生、投影機はどこにあるんですか?」
「トウエイキ?」
「そうです投影機ですよ。肖像画って写真を投影して、上からなぞって描くんでしょう。あとはコピーで拡大して転写するとか?」
およそこの世の森羅万象で知らぬ事無しのY氏が、したり顔でのたまわった。
前回来訪の折は日本画の描法について熱心に講義して帰って行ったが、今度の与太話はいったいどこから仕入れて来たのだろうか。
「この間ね、Tさんに会ったんですよ。その時にね、先生の話が出ましてね、Tさんがそう言ってましたよ。」
なるほどT氏との話なら何となくうなずける。
「あのね、そういう方法でも描けない事はないと思うし、最近ではコンピュータグラフィックを応用した作品もあるとは知っているがね。そういうものは写真にそっくりなだけの作品になってしまうのじゃないかな。想像すると気味悪くないかい。」
「でもそっくりに描ければそれでいいんでしょう。」
「そうなんだが、ただ写真にそっくりなだけじゃね…。」
「じゃ先生はそういうものを使わないんですか?」
「見ての通りここには投影機はおろかテレビもないよ。音の出る物と言えばそこにある古いラジカセだけでそれも甥のお下がりでね。期待に反して申し訳ないが、そういう便利な道具は一切置いてないんだよ。」
Y氏 たいそう不満そうな顔で…
「それじゃいったいどうやって描いてるんですか先生は。」
「普通のやり方で描いてるよ。」
「普通って?」
「写真を眼で見て描いてるのさ。」
「 ………。」
日曜日は時々面白い人が訪ねて来る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月17日(土曜日)
前の畑の亀山さんの息子さんが梅の木の下を掘っている。
近くでドラッグストアを経営している実直な人だ。
仕事の手を止めて何気なく見ていたら、どうやらフキノトウを取っている様だ。
なるほど、地面の上っ面を突付いている様では、今の季節まだ見付けられないのか。
それにしてもずいぶん深くまで地面が軟らかそうだ。
我が庭の地面も決して硬い方ではないと思うのだが、あんなにさくさくと20cm近くまで掘り下げられない。
普段の丹精のたまものか。
そう言えばしばらくおばさんの姿が見えないが、お元気でいるのだろうか。
冬場には畑仕事はないのだろうが、寝たきりのご主人の具合でも悪いのだろうか。ともあれ息災でありますように。
往復20キロの道程を最初の2日間は徒歩で、その後の5日間は自転車で通いはじめて1週間。
調子すこぶる良し。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月16日(金曜日)
もうそろそろかなと思い、庭のいつもの場所を探したが、今年はフキノトウがまだ顔を出していない様である。
例年であればもう最初の春の香りを味わえるのに、やはりこの冬は異例の寒さであったのだろう。
それでも我が庭や前の畑の梅の枝には、うす紅色の硬い蕾がたわわについて、
日に日に大きくなっていく様子を毎日見ていると、春がそこまで来ているんだなと実感する。
あと数日したらもう一度探してみようか。
その年の最初の収穫の感動は何度味わっても新鮮である。
我が家では天ぷら、ミソ焼きなどで食卓を賑わすが、あのほろ苦い味と独特の香りは飯のおかずもさる事ながら、ソバの薬味に合う様である。
それに熱燗の一本もつければ、何をか言わんやというところか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月14日(水曜日)
日本の田舎の例に漏れず、画室のある大沼田の地にもいたる所に道視神(庚神塚)が、あるものは草に埋もれ、また、あるものは妙に新しくなった家と家の隙間に挟まれるように置かれ、あるものは昔通りに辻々を守るように奉られている。
画室のすぐ近くにも追分があり、そこには庚神塚の他に六地蔵やいずこの誰とも判らぬ恐ろしく古い墳墓、そして石の小さな祠などが文字通り渾然と並び立ち、つい先頃まで仏法僧の住んでいた樹齢350年の見事な松の大樹の枝の下に鎮座していたのだが、残念な事に松喰虫のために立ち枯れてしまったことで無残にも切り倒され、今では殺風景な佇まいを晒している。
先日、その追分の楔型の敷地の西側の先端に、1m幅程のオモチャの様なガードレールが設置されたが、それが何とも不釣合の感が強く、見るに耐えない。
古いものが全て良いとは決して思わないが、不調和な印象が人の心にどのような影響を齎すのかを思うと、現代社会が多くの歪を病的に抱え込んでいるという事実に慄然とする。
信仰の有無、信じるものの何たるかは別にして、狂心は例外にしても、人が聖域として崇め、神聖なもののしるしとして畏れるものが色褪せ打ち捨てられる時、人の精神もまた優しさや慎みを忘れた不毛の荒野へと変貌していくのだろうか。
いずれにしても手に余る問題である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月13日(火曜日)
今日、図らずも一編の詩に出会った。
画室の入口の北に、東に向って緩やかに登る街道が一本山肌にとけ込むまで続いている。
その街道に向って開いた門の真ん前に防火用水のための貯水槽が2m×6m位の水平な面を約50cm位の高さで設置してあるので、この地区の古老の方達の道すがら格好の休み場となっている。
午後2時頃であったか。昨日に比べ少し寒い日なのに何人かのお年寄りが世間話に花を咲かせていた様であったが、その内に聞くと話に耳に入って来たのは…。
「そりゃぁこの年になったって親くらい懐かしいもんはねえやね。今年でかぞえ91になってさ、死んだオフクロよりも2倍も長く生きたって、やっぱし母親は母親だあね。オラが嫁に来て2年後だからもうかれこれ70年経ったかね。上の子の手を引いてさ、2番目がまだ乳飲み児だったからオムツだの何だのとでけえ荷物を一抱え持ってさ、朝4時起きだよ。むけやま(向う山?)のジンちゃんが街道まで荷車を出してくれたんで助かったけんども、実家に着いたんが昼過ぎだよ。全く。今じゃよ、車で20分もあれば着いちゃうよ。そんでも昔は泊りがけさね。親の葬式だからって5日ばかり暇を貰ったがよ、けえれば(帰れば)姑様に嫌味の一つも言われるに決まってるからよ。実家にいたって落ち着きゃぁしねえやね。母親が死んだって悲しんでもいられねえのが昔の嫁さね。情けねえもんだよ。
………〈中略〉………
そりゃぁ会いてえよ。近頃余計にそんな気持ちになることが多くてよ。オバケでもいいから会いてえよ。
会いてえ、会いてえな、全く…。
苦労して苦労して40代で死んじまったよ。………会いてえな。
母ちゃん。会いてえなあ、全く…。」
いつの間にか仕事の手が止まっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月12日(月曜日)
画室からの帰宅途中、すでに夜の闇がおりている中を車を避けるために路地や脇道を選んで歩いていて、ある事実に気付かされた。
それは今の道、特に市街地のそれは人が歩くことが不自然になってしまったということだった。
顔見知り以外の人間が道を歩いているとかなり強い警戒心と敵意をむき出しにして、これ見よがしに視線を送ってくる。
これも時代の特色なのかと思うと少々淋しい気がする。
帽子に手をかけて馬鹿丁寧な挨拶を返すと多少は警戒心を解くのだが、驚いたことについでに持ち歩いている絵具箱とスケッチブックを発見すると、とたんに態度が軟化するのだ。
世間の人はいったい絵描きという人種を何だと思っているのだろうか。
それほど信頼性の高い人種とも思えないし、全ての絵描きが人格高潔という訳でもあるまいに。
かと言って全部ができそこないとは思わないが、とかく人の世とは妙なものだとしみじみ実感したこの頃ではあった。
今朝、地元の集会場の玄関脇にあった老松の切り株の上に例のパンダ猫が日向ぼっこしていたので、たいして期待もしなかったが声をかけると珍しく「ニャーッ」と応えたのには少し驚いた。すぐ近くに座ってなおも話しかけた。
身を硬くすることもなく耳をピクピクさせて口先だけの「ニャーッ」を何度も繰り返しているのがいじらしかった。
「あとで遊びに来いよ」と声をかけて道を急いだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月11日(日曜日)
夕方、早目に仕事を切り上げ、画室から自宅までの約10キロを歩いて帰ることにした。
山沿いの道をゆっくりと進み、川に沿った小道を選んで入って行くと、低い丘の斜面の畑に出た。
オバアさんが一人畑仕事をしていたので挨拶し私有地を通り抜けることの許しを請うと、笑顔で応えてくれた。
ついでに道を尋ねると、間もなく旧道にぬけるのだそうだ。
しばらく進むと確かに道らしい場所に出たのだが、何だか他人の家の庭の様な雰囲気。
若い夫婦らしい二人連れが車から荷物を運び出していたので声をかけて家の前を通る許可を得る。
「どうぞ」と明るい返事。
間もなく普段見なれた切通しの手前の坂に続く道へと出た。
ここは確か大望山神社の参道のはずである。
こんな近くにも未知の場所があるのが楽しい。
ロバート・A・ハインラインだったか「夏への扉」をふと思い出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月7日(水曜日)
物故者の肖像画を手がける折は、いつもの事ながら身も心も引締る思いがする。
依頼主が送ってきた一枚の写真の向こう側にある当人の人生と家族、友人知人との関わり合いなどに想いを廻らす時、
描き手としての責任の重大さをいやでも自覚させられる。
果たして依頼主の期待に応えられるのだろうか。
かけがえのない一人の人間のモニュメントを充分な力量で描き切れるのだろうか。
未だ未熟なこの身が、遺族に納得してもらうだけの作品を届けることが出来るのだろうか。
何百枚、何千枚描いても、おそらくこの恐れから開放されることはないのだろう。
今日もいつもと同じ恐れを抱きながら新たな作品に手を付ける。
せめて、祈りを添えることで力をもらおう。
合掌。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月6日(火曜日)
午後、南側の庭に面した板の間の方で仕事をしていたが、何となく視線を感じるのでふと外を見ると、
パンダ猫と勝手に名付けているノラが、きちんと正座をしてこちらを見ていた。
庭に来る鳥達のためにと昼食を少し残してまいているのを最近こいつが文字通りネコババしているのだったが、
今日はあいにく残さず食べてしまったので、テーブルが用意されていなかったのが面白くないとばかりに座ったまま動こうとしない。
仕方なく母屋から調達していつもの所に置いたところ、それで良いんだとばかりにパクついているのが癪にさわる。
でもこいつは二代目で、2年程前にはパンダ猫の母親が毎日遊びに来ていたが、ある日を境にピタッと来なくなった。おそらく、事故にあったのだろう。
その当時からこいつは母親と一緒に庭までは来るのだが、絶対に近づいては来ない奴だった。
それが最近顔つきも何となくのんびりして、どことなく老成した雰囲気を漂わせているのがおかしい。
たまに道ですれ違う事もあるのだが決して視線を合わせようとはしない代りに、態度ものごしで一応挨拶はしているらしい。
「おい」と声をかけると、さっと脇へ逃げる様子にこいつの半生の厳しさを見る様で少し心が痛む。
明日は少し多めに残そうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月5日(月曜日)
コンテ画の制作中にS美術の社長来訪。
ちょうど一区切りのところだったので、茶を入れしばし閑談する。
話しはどうしても昨今の景気の事になってしまう。
ご他聞にもれず社長のところも決して良いとは言えないそうだ。
何処も同じというところか。心なしか少し疲れた様子であった。
それでも話にはずみが付いてくると、どこそこのトンカツ屋は行列が出来る店で美味いとか、
友人と有名ラーメン店に行ったところ店を取り巻く程の行列だったのと、結構メジャーになってくる。
元々物事にあまり頓着しないおおらかな性格なのだ。
事業家としてのセンスも一流で、こんな不景気なんか軽々と乗り越えて行くだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年2月3日(土曜日)
朝から強い西風が寒気を運んで来た様で、真冬の感がいや増すのは私だけではないだろう。
今夜は恒例の鎧年越(鎧武者行列)が行われる。
子供の頃、着ぶくれしたうえに、耳当て、手袋、マフラーと、およそ今では考えられないいでたちで、
夕食の後、近所の仲間と連れ立ち、行列が通るのを足踏みしながら待っていたものだった。
身体の芯まで冷え込む質感と、現在とは比較にならない程深い夜の闇が、
開け放たれた店々からもれる明りで、かえって強く迫って来るのを、
ある種の神秘体験のように感じた記憶が今もある。
やがてその闇の中から、手に持つ松明の明りに照らされて進んで来る鎧武者達は、現在のそれとは違い、
色褪せて古びたこの世の者ならぬ姿で迫って来る。
それは、正にモノトーンの幽幻の世界そのものであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
作家と工房のご紹介 ⇒ 肖像画の種類と納期 ⇒ サイズと価格 ⇒ ご注文の手順 ⇒ Gallery ⇒ 訪問販売法に基づく表示
| What's New | Photo | アトリエ雑記 | Links | BBS |
| ご注文フォーム | お問い合わせフォーム | ネットオークションのご案内 | サイトマップ |