アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成13年5月31日(木曜日)
【雨のち晴】
ひさしを打つ雨音の激しさに目覚めたら、あれは屋根ひとつ隔てた樹覚寺打つ鐘だろうか。降る雨にその音までがしっとりとうるおい、かすかに、そしてかなりの間を置いて聞こえてくる。
鐘の音もさることながら、音と音との間が、神聖な漂いに満ちているように思えてならない。
打つ毎に合掌する人の姿が目に浮かぶ。
あれはご住職か、それとも奥様か。もしかしたら京都の大学で学んでいるご子息が帰省してのおつとめだろうか。
一日の始めに、人々の平安を祈る心が、鐘の音に乗って広がって行く。
多分この時、山々は雨にけぶり、早朝の薄闇の中に、その山裾を黒々と浮かばせているのだろう。
間もなく人々は目覚め、名も知らぬ多くの人の祈りに支えられて、今日の喧噪の中に歩をすすめて行く。
ふだん思い出しもしないが、世界はおそらく、目に見えないそんな営みによって、かろうじて存続を許されているのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月30日(水曜日)
【晴時々雨】
仕事が一区切りついたので、昼食後にかねてから目を付けていた踏切の写生に行く。
JR両毛線の「第二鵤木踏切」という一丁前の名はあるが、車も通れない小さな踏切である。
踏切の南北は結構きつい坂になっているのでいやでも見上げる位置に、例のトラの様な縞模様の設備がより集まっている様子が何となくもの淋しい。
ここを通る道は幅が2mもない文字通りの間道という奴で、地域の人か郵便配達人がぬけて行く位のものだろう。
南の坂の下に小さな共同墓地があり、その入口あたりからのアングルが気に入ったので、イスを出して描き始める。
道を隔てて人家があるが、生垣にさえぎられているので気にならない。
だいたい当りがついた頃に少し降り出して来た。
墓地の中にある地蔵堂に難を逃れ、しばし雨足が遠のくのを待つ。中は土間になっていて以外に広く、掃除も行き届いている。
堂の奥中央に、約2m程の石地蔵が安置されていた。
脇に線香の箱とライターが置いてあるところを見ると、きちんと堂守りされているのだろう。まだ新しい香の香りが堂内に漂っていることでもそれと知れる。
そういえば、このお地蔵様は市の文化財の指定を受けているという意味の立札が表にあった。
雨が止んだので写生の続きを始める。
打ち合わせたかのように郵便配達の赤いバイクが、踏切を越えて向う側へ消えて行った。
黄と黒の縞模様に赤色が混じり、一瞬色彩が踊った。
次第に消えて行くバイクの音に重なって、警報機があの愁いのある音を点滅する赤ランプに同調して奏ではじめた。
ロン・ロン・ロン・ロン………
まだその気配もないのに、レールは東からの電車の音を伝えて鳴っている。
カシャコン・カシャコン・カシャコン………そしてガタコン・ガタコン・ガタコン………
ゴーという音と共にオレンジとグリーンの横縞が、瞬く間に通り過ぎて行った。
遮断機が上がると踏切はもう役目は終ったとばかりに、もとの静寂の中に眠る。
再び大粒の雨が落ちて来た。
今度の降りは長引きそうなので、雨宿りはせずに引き上げることにする。続きは明日にしよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月29日(火曜日)
【晴のち雷雨】
昼間かなり強い夕立があったので、まさかもうあるまいと油断した。
帰路に昼のそれよりも強そうな気配で空がみるみる変っていく。
折良く友人の店の近くに差し掛かっていたので、そこに飛び込み危うく難を逃れる事ができた。
午後7時を過ぎて、かなり小止みになり、多少濡れるのを覚悟して店を辞した。
雨のあと特有の澄んだ大気の中、薄闇を透かしてあちこちの酒場の灯が瞬き、昼間とは全く別の世界がそこにはあった。
折からの風に桜の葉うらが返り、白緑色のざわめきが美しい。
顔にかかる雨もまた快く、背を押す風に心が踊る。雨もまた良し。どこやら店の仕込みの香りか、夕食前の身にはいささか辛い。
楽しみはどんな所にもあるものだとつくづく思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月28日(月曜日)
【晴】
絵に描いたような五月晴れで、爽やかな南風がとまる事なく画室をぬけて、涼しい一日となった。
朝、通りぬけて来た露地の片隅に、蕚アジサイが青色の花をつけていたが、季節の移ろいの早さには今更ながら驚く。
画室近くのとある家の前に群生していた見事なマーガレットが今朝はすっかり刈り取られて積まれていた。
ぶどう畑には早くから人が入って剪定作業が忙しそうである。
良く見ると仁丹より少し大きめのぶどうが、青く小さな房をいっぱいに垂らして、夏はもうすぐそこまで来ていることを告げているようであった。
田には水が張られ、すでに田植えの終った所も多い。
ふと見上げると、画室のある鷹の巣の集落をふところに抱いた大小山々系の、折からのかすみを通して青々と濡れた姿が誇らしげにそびえ立ち、息を喰むように美しい。
その山系の上から北の山並みにかけて、真っ白な夏雲がわき立ち、青空のキャンバスを気ままにうめていた。
人の世の些事を尻目に、自然はまさに超然と時を刻んで行く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月27日(日曜日)
【雨のち曇】
今日は雨模様なので念願の草刈を再会する。
その前に一仕事して、区切りの良いところで作業着に着替え、岩が多くて草刈機の入らないスペースから始める。
約一時間後家内と息子が自転車のパンク修理のために来室。
朝、途中で自転車の後輪がパンク、画室に着いてすぐに家に電話を入れて応援を頼んだのだった。
パンク修理は妻にまかせて草刈に戻る。
今は草のほとんどがタンポポで、地面に見えている部分だけを刈り取っても、ごぼうのように長い根は地中に残る。
この根を掘り出してキンピラにしたり、味噌漬けにすると結構美味いものである。
今はそんなゆとりは全く無し、ただひたすら刈り取るのみ。
タンポポの他にドクダミ、アザミ、よもぎ、野びるなど、考えれば全て食用になる野草である事に気付き、なにか得した気分。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月25日(金曜日)
【晴】
朝、出掛けに美術館に立ち寄り所用を済ませ画室に向う。
こんな時に限って電話があり、母屋の兄が応待した。
九州のY氏からであった。
急いで電話したら、料金がかかるからY氏の方からかけ直すとの事。親切が心に染みた。
絵の代金の振込先の件で打ち合わせを終えて、お互いに礼を述べ合い電話を切る。
また感性を共有できる人と出会う事が出来た。
オークションは作品を買っていただく事も大切なことであるが、掛け値無しの実力を公開の場で評価してもらう意味もあり、むしろその方にウェイトがあるのかもしれない。一歩間違えば自分の恥部をさらすに等しいことになる。それを覚悟で出品する以上、落札してくださる方はかけがえのない存在であると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月24日(木曜日)
【雨のち曇】
画室に行く前にS女史宅に立ち寄り、近況報告をする。
辞去しようとした直後、どしゃ降りの雨となった。
雨合羽持参なので大丈夫と言うが、止むまで待てと聞かず。
忙中に閑ありということもあり、ここは忠告に従い、一向に静まらぬ雨足を眺めながら時を過ごす。
よもやまの話に花が咲いたが、ほとんど相手の話の聞き役だった。
熱心な話に耳を傾けていると、とても心が安まる。
ずっと昔、若くして逝った才知あふれる兄の想い出、行きずりの流れ職人が急病で倒れたのを黙って入院させ手術、そして亡がらを引き取り、埋葬までした侠気ある父の話。
人の情のぬくもりに救われた女史本人の数々の出会いの想い出。
濃くて渋い茶と黒砂糖の羊羹がやけにうまかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月22日(火曜日)
【曇のち雨】
今日より鉛筆画の下描きに入る。
写真は歯が見えているが、30代の頃の写真をもとに、メインの10号油彩とは違う表情を作っていく。
少し首を傾げたポーズが優美で構図も良い。
口を結ぶとややきつい表情になるが、オーナーにとってその方がご自分のイメージとしては自然らしい。
肖像画はなんといっても表情が命。場合によっては他の部分の描き込みを犠牲にしても、表情をきわだたせなければならない。
時々印象の希薄な肖像画を見かけるが、大抵は全体を同じ力で描いている場合が多いようだ。
描き込んでから思いきってディテールをおさえた方が、結果としては表情がきわだって良いものになるような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月19日(土曜日)
午後久しぶりに、近くのJR両毛線のガードを写生に行く。
土曜日のせいか人通りは多いが、町中ではないので気が楽である。
道の角の家がちょうど日影を作ってくれるので助かった。
30分程経つと黒雲が立ち込め、遠雷が響き、冷たい風が吹きつけて来た。夕立が近い。
急いで道具をしまい帰路につくが、この調子だと途中で降られそうであった。
雨宿りできそうな場所をチェックして道を選び、あまり急がずに自転車を走らせた。
明日に備えての練習の帰りか、野球のユニフォームを着た小学生の一団が必死に自転車をこいで前を行く。
画室へあと一息という上り坂にさしかかった所でポツンと来た。
慌てて画室にたどり着いたとほとんど同時にどしゃ降りとなり、間もなく雹がまじって凄い音を立て始めた。
滑り込みセーフ。音も風もなにか清々しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月18日(金曜日)
【晴】
今朝、鑁阿寺の東の一画を通り抜けて、国道293号に出た。
この辺は入り組んだ露地が古い町並みにしっくりと馴染んで、静かで落ち着いた佇まいを見せていたが、最近の区画整理でかつての面影はほとんど消えてしまった。
まだ彫金をやっていた頃、この露地の一画にあった小さな町工場によく道具の製作をお願いしたものだった。
いかにもたたきあげの職人といった風情の親父さんが、素人の書いた走り書きのような設計図を片手に、黙々と機械を動かして、あっという間に仕上げてくれた。
低い軒から深いひさしが露地に張り出して、昼間なのにほの暗い工場の中の裸電球が、やけに明るかったのを思い出す。少し鼻をつく機械油の臭いと、薄汚れた床や壁の色が、入口脇のひねたイチジクの葉の色を妙に鮮やかに浮き上がらせて涼しげだった。
臭いにも色がある事を、この時知った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月17日(木曜日)
【晴】
折からの風に乗って独特の青臭い香りが漂ってくる。
見れば道沿いの屋敷の庭の椎の木が、淡黄色の花の穂をいっぱいに乗らしていた。
この花の香りに触れると、想いは10歳の5月へと飛んで行く。
足利市立西小学校5年4組。
校庭正面校舎の2階の東端の教室だった。
窓際の席から下を見下ろすと、一年生のいる平屋の東校舎と、それに続く長い渡り廊下の屋根が、初夏の陽に照り映えているのが目に入って来る。
その屋根越しに、東門脇の便所を取り巻いて立つ椎の巨木が、まるで衣をまとったかのように淡黄色の花をつけているのが見える。
その様子をぼんやりと眺めているのを、担任によくとがめられた。
子供のくせに、何となく物憂く気だるい初夏の午後が好きだったのだ。
あの頃は、誰もがトム・ソーヤであり、ハックルベリーで、それ以外の何者にもなれなかった。
それは、5月という月だけに目覚める魔法が、10歳の少年達にかける、喜ばしい呪いだったのかも知れない。
女の子は同級生は勿論、全て消えてなくなるか、犬に変る事を心密かに願いながら、野山をかけ廻った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月16日(水曜日)
【曇】
前からやって来る中学生の自転車のライトが灯いていた。
よく見ると電池式のライトだったので、すれ違う時に「僕、ライトが灯いてるよ」と声をかけたところ、その子はむき出しの怒りで顔を歪めながらこちらを睨んでいた。その子にとっては事情はどうでもよく、アプローチされたという事実が敵意と悪意をむき出しにする正直な理由なのだろう。どうひいき目に見てもなにか病的で不気味な印象さえ感じてしまうのは、こちらの心が偏狭だからなのか。
おそらく「一期一会」などという言葉など、もし触れる事があるとすれば、試験問題の一例としてだけで、他に何の意味もあるまい。
あの表情の中には、既に人格障害の兆しが見えているが、この子の親はその辺の状況をどのように認識しているのか、他人事とはいえ気になるところだ。
怒りにふるえながらこちらを振り返っていつまでも睨んでいるその子の視線を背に受けながら、画室へと道を急いだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月15日(火曜日)
【晴】
朝夕に犬の散歩をしている人達によく会う。
皆スコップとビニール袋を手にして、いかにも汚物の処理はきちんとしてますよと言わんばかりである。
おそらく大半の人はマナーを守って、きちんと後始末をしているのだろうが、それにしても垂流しのフンがいたる所にあるのには驚かされる。中にはフンの入ったビニール袋を畑に投げ捨てて行く人も少なくないようだ。
そんな事をする人の家にも学校へ通う子供達がいるかも知れないのに、いつだったか帰宅途中の小学生が道端の犬のフンに気付き、あわてて飛びのいた所に、後から来た車がさしかかって、あわや大事故となる場面を見た事があったが、当事者はそんな結果もあり得るなどと考えもしていないだろう。
畑仕事をしている人に「最近犬のフンが多いですね」と言うと、道端よりも畑に投げ捨てて行く方が多いそうだ。
多分肥料のつもりだろうが、汚物以外の何物でもないとこぼすことしきりであった。
「てめえ達は好きな時に可愛がってよ、肝心の汚れ仕事は見ず知らずの他人様におっつけて平気な顔だよ。そんな奴等の死に際はてめえのクソにまみれてるだろうよ」と吐き捨てるように言ったその人の言葉は、結構重かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月13日(日曜日)
【晴】
市長選挙の投票を済ませ画室への道すがら、すれ違う人達に朝の挨拶を送ってみたら、面白い結果が出た。
季節がら日曜日でも小中高の学生たちの姿が目立つ。
「オハヨー」と声をかけると、小学生からは100%返事が返ってきた。中学生は残念ながら一人も挨拶が返ってこなかった。高校生は約50%の高成績。大人は10%と以外に少ない。
こちらが「おはようございます」と声をかける前にその気配を察知するとスッと横を向いて、中にはわざとらしく鼻歌を歌いながら背を向ける御婦人もいる。これはもうマナー以前の人間性の問題としか言いようがない。子供達の礼儀の悪さを誰が責められるのだろうか。
確かに子供の頃にもろくに挨拶も出来ない大人はいた。しかし、そういう大人はいわゆる人並みの扱いはされず、特殊な存在として自他共に認めるところであったようだ。
今はむしろそれが通常となったらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月12日(土曜日)
【晴】
仕上った油彩画の表面に保護用のワニスを塗る予定であったが、まだ少しべた付きが強いようなので大事をとって1〜2日先に延ばすことにする。
以前に仕上りを急ぐあまり、早目とは承知しておりながらルツーセを塗ったとたん、下の絵具が動いてしまい大失敗をした事があった.
仕上りは正面から見る限り、バルルーは均一であるが、少し斜めからの視線では明らかな差ができている。
やはりルツーセで調整してからの額装となるだろう。
制作中に一度バルルーの調整はしたが、やはりこれだけ描き込む作品の場合、バルルー調整は2度以上は必要になるだろう。
他の同業者はどんな技法を使っているのだろうか。
聞けば終始ぺトロールだけで済ませてしまう人もいるとか。
ちょっと想像できないが、大丈夫なのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月11日(金曜日)
【晴】
市長選の外宣車の音が響き渡る街を仕事場へと向う。
自転車で風を切って行くとまだ少し肌寒さを感じるが、それがかえって快く思われる季節となった。
もう春の気配など名残さえ留めてはいず、目に映るもの全てがやがて来る夏の兆しをはらんで清々しい。
前を行く二人連れの高校生がしきりに身体のだるさを話題にしているのが何となく面白く、なるほど今頃の季節、身に憶えのある事と、妙に同感しながら後について走った。
ネパールの子供達に「君の夢は」と質問したところ、「毎日学校に行けて勉強が出来ること」という答が帰ってきたと言う。「日本の子供達は他の事は何もしなくて良いから勉強だけしていれば良いと言われても、あまり勉強は好きではないみたいだね」と話したら、「それは絶対にウソだ」と信じなかったそうだ。
自転車でなかったら腕組して考えてしまうところだが、複雑な気持ちでペダルを踏んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月10日(木曜日)
【曇のち晴のち雨】
帰り路に、S女史に前から請われていた「アトリエ雑記」の一部のコピーを届けるため、既に薄闇の立ち込めた中を女史の家近くのこうじ屋の前を通り過ぎた時、マスクをして帽子を目深にかぶり、自転車でふらふらと行く姿がよほど怪しげに見えたのか、露地に入ったそのあとを、さも関係ないかのようなふるまいで、店のオヤジがついて来た。S女史宅はその露地の奥まった所にある旧家である。近くで立て続けに放火事件が起こり、犯人は捕まったものの、町内の人達にとって、身分不詳の怪しげな者は、要注意人物として警戒対象となるのもやむを得ない。多分こうじ屋のオヤジさんは、この辺りの古株で自らガードマン役を買って出ているのだろう。この町内は、まだそんな気風の残る土地柄なのだ。あいにく女史は不在であったので、郵便受けにコピーを入れてその場を辞去した。
以前はホームレスと間違われたし、本屋さんでは明らかに不在人物として、行く先々まで追尾され、今度は放火魔と、ロクな事はない。
原因は花粉症対策用マスクとキャップ、そして猫が飛びつきそうな薄汚れた自転車、加えて娘のお古のシミだらけの白い布製のショルダーバッグ、そして次男が中学時代に愛用していた真っ黒に汚れたスニーカー。このスニーカーはローンシップのハードコート用テニスシューズで、その履き心地は満点、その上にこの上なく丈夫で、かれこれ10年近くお世話になっているのに、わずかにかかとが擦り減っただけという文字通りブランド物の良さをもつ逸品である。
しかし、よく考えてみると、それらを身にまとい、自転車を走らせながら、キョロキョロと辺りを見廻しているオッサンは誰が見ても不審な人物だろう。
いっそのことスーツを着て自転車に乗ろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月9日(水曜日)
【雨のち晴】
今が繁殖期なのだろうか。
最近キジの鳴き声がしきりで、長い尾をした立派なオスが、メスを引きつれて庭先に表れるようになった。
オスキジが「ケンケーン」と鳴く時には、必ず羽根をバタつかせながらポーズをとるのだが、あれはメスへのアピールに違いない。
陽の下では鮮やかな緑を基調とした玉虫色の羽根の色が木陰に入るとほとんど色調を失って黒っぽくなり、葉陰の中に溶け込んでよく見えない。
人を恐れるでもなく、一定の距離さえ保っていれば、かなり近い所からゆっくりと観察できるので、たまたま訪ねて来た人が、そんな折に出くわすと狂喜する。
確かに珍しい光景なのだろうが、キジは元来人里に近く住む鳥だと聞いている。
かつてはどこにでもある普通の風物だったのだろう。
運良く食事時などに重なると一層楽しさが増して良い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月5日(土曜日)
【曇のち晴】
昼食を摂りながらの読書は許された数少ない楽しみの一つであるが、今は妹尾河童さんの「少年H」が美味なおかずとなっている。
年代が少しずれてはいるが、充分に手応えと匂いを共有できる世界がそこには確かにあった。
考えてみたら、小学校入学は終戦3年後、それ以前の記憶の中には中島飛行機製作所(現富士重工)のあった、隣の太田市の爆撃跡や戦闘機の残骸、おどろおどろしい中にもなにか心がわくわくするような闇市の佇まい、身近な大人達とは桁違いにダンディなG1と、なぜかいつも一緒にいたきれいなオネエさんの目を見張るようなファッション。大人達が黄色い電灯の下で夜毎に語る戦時中の信じがたい話の数々。軍服を普段着変りに着用していた人もかなりいたように思う。
ラジオではよく「尋ね人」という番組が流れ、昨日はどこそこの息子が復員してきたとか、今日は隣の町内のだれそれが白木の箱に入って帰ってきたとか、そんな話題が日常であった時代に幼年期を過ごした。
あれからあっという間に時が過ぎ、今振り返れば良いことばかりではなかったものの、素晴らしい半生を与えられたとしみじみ思う。
そして心はあの頃のきらめきを秘めたままに、少しも色褪せてはいないし、しぼんでもいない。
いくつになっても未来は常に可能性を持っているものであるという確信も揺らぐ事はない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月4日(金曜日)
【曇のち晴】
今朝は画室に行く前に所用で実家に立ち寄る。
方向が逆なので少し面白いというか、目新しい感じがする。
実家のある町を含めた旧市街地の西は、元町と呼ばれているように、かつては栄えた市の中心地で、本通りを少しそれると昔懐かしい露地がいたる所に残っている。残念ながら子供時代に親しんだ家並みはほとんど消えて、今風の家に建て変えられているのは仕方のない事だろう。
それでも、幼馴染の家や、中学時代にお世話になった先生のお宅、小学校中学と長い年月を通った文房具屋など、わずかではあるが往年の姿そのままを留めた家が、しっとりと佇む様子がなにか甘酸っぱく心に染みてくる。
人は過ぎて帰らぬ過去と、未だ来ぬ未来という、存在せぬものの間に挟まれた今という瞬間だけに実在するものなのか。
確かに人が時空というもの、特に時というものに縛られている限り、それは動かしがたい現実なのだろう。
しかし時は流れ去るものではなく、人の内に積み重なるもの。
そして人は時を超えて存在するものであるとも言えるのでは…
この一瞬という形の永遠を信じたい。
実家に近付くにつれ晴れて行く空の下、がらにもなくそんな事を考えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月2日(水曜日)
【曇時々雨】
家内の友人のお宅のテレビを頂いて5年以上楽しんだが、2ヶ月ばかり前に突然プツンと言ったきり映らなくなった。仕方なく昔使っていた故障テレビを引っ張り出して、今はそれのお世話になっている。
14インチの赤い色をした時代のもので、勿論リモコンなどという魔法の仕掛けは付いていない。チャンネルはダイヤルを廻して選局する型である。
つけてしばらくすると、画面が上の方から徐々に下がってきて、上3分の1ほどが真っ暗になってしまう。今流行りのワイドテレビである。CMの時間が来ると急いでテレビを消してブラウン管を冷やしてやると、少しの間元の画面に戻るのだが、また段々とワイド型になって来る。
その繰り返しに根負けしてテレビを消した後におとずれる静寂が何とも言えず快い。
人間貧すれば鈍すと言うが、存外その逆もあるのかも知れない。
ただ画室への行き帰りの道端に、家のテレビよりは明らかに新しく程度の良いものが捨てられているそばを通り過ぎる時、思わず辺りに気を配ってしまうところをみると、やはり多少鈍するのかも知れない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成13年5月1日(火曜日)
【曇】
人間は自分の死を目前にした時、何を考えるのだろうか。
4年前の事、心臓の発作に襲われ死を覚悟した事があった。
段々と強まる激痛の中(あぁこれで死ぬんだな)と思った後、最初に心に浮かんだのは、家族や兄弟が、自分の死を悲しまず、一日も早く安らかな日々を取り戻して欲しいという切なる祈りであった。次に自分の死が多くの人達の手を煩わす事への申し訳なさ、その次が金の心配であった。生命保険は正規の手続きをしていたのでは葬儀にはとうてい間に合わないからだ。そして最後が、出来る事ならこの痛みがピークに達する前に意識がなくなって欲しいという祈りであったと思う。
やがて少しの恐怖と意外なほどの静かさが訪れ、自分でも驚くほど冷静に事態を客観視していることに気付いたのだった。
おそらく人は死を前にほとんど同じ様な状況を経験するのだろう。その先は知らないが、多分ワンダフルワールドであると直感が訴えている。だから、今生かされている事を無上の喜びとして、感謝の内により良く生きねばと思う。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
作家と工房のご紹介 ⇒ 肖像画の種類と納期 ⇒ サイズと価格 ⇒ ご注文の手順 ⇒ Gallery ⇒ 訪問販売法に基づく表示
| What's New | Photo | アトリエ雑記 | Links | BBS |
| ご注文フォーム | お問い合わせフォーム | ネットオークションのご案内 | サイトマップ |