アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成17年9月26日(月曜日)
【曇】《25日の続き》
「落ちたあ、落ちたぞ。ありゃ町だぞ、山じゃねえぞ」
誰かが半狂乱になって喚き散らしている。
まるで自分達の直ぐ近くに落ちたかと思えるほど、その光と音は凄まじいもので、いくら家の軒下に避難しているとはいっても、皆もう生きた心地がしなかった。
「大丈夫、雷は一番高え所に落ちるから、こうやって座ってりゃあ絶対に落ちっこねえよ」
オブチンが震えながら言うと、今度はクン坊が「もしもさあ、間違ってここに落っこちたら、俺達死んじまうかな。俺ぁ死にたくねえな。それによお、雷が落っこちたら痛かんべなあ。俺ぁ痛えのも嫌だな」と、ベソをかきながらボヤいた。
「バカヤロー、もしも落っこちたら痛えなんか言ってる間もなく真っ黒こけになって即死だ」と、例によって宮内の奴がヤケクソになってどなる。
「落っこちる落っこちるって何度も言うな。そんな話してると本当にやられちまうぞ」
さっきから黙りこくっていた益子の奴が、みんなをにらみつけながらどなった。
それを聞くと、何だか本当に雷が落ちるような気がして、誰もかれもが大慌てて口を押さえて沈黙した。
「くわばら、くわばら」
両耳をしっかりと押さえながら、マー公が年寄りじみたまじないを必死で唱えている。
そういえば私の母も、雷が来ると蚊帳を吊って中に入り、「くわばらくわばら」と唱えていた。
何でも雷は、なぜか桑畑には決して落ちないところから生まれた呪文なのだそうだが、そんな事で騙されるとしたら、雷は相当バカなんだと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月25日(日曜日)
【晴】《24日の続き》
「ここは町中だから、もし雷が落っこちても、人に当たらねえで家に当たるよな」
オッちゃんがビクビクしながら上目使いでオブチンに聞いた。
「そんなん知るかよ。もしかしたら人に落っこちるかも知んねえし、そうなったら絶対に生きてらんねえぞ」
オブチンが震え声で応えると、今度は宮内が「前に父ちゃんが言ってたけど、父ちゃんの目の前にいた馬の頭に雷が落っこちた時、父ちゃんまでぶっ飛んだって」と言った。
オチ坊が「馬は助かったん?」とたずねると、宮内は「死んだんにきまってるだんべ。馬方も気絶したってよ」と、口をとんがらせてオチ坊に食い下がった。
私はその話を脇で聞いている内に、切れ目なく空を切り裂き暴れまくっている稲妻が、今度は私達の上に落ちて来て、私の頭を直撃するのではないかと想像して、思わず「ウーッ」と声を出してしまった。
「何だコーちゃんも雷がおっかねえのかよ」
オブチンが鼻の先で笑いながら私をからかったのがくやしくて、「おっかなくなんかねえよ。ただ少し寒いだけだよ」と、はずみで見栄を張ってしまった。
しかし本当はチビリそうなほど怖くて怖くて仕方がなかった。
雨はますます強くなり、雷鳴は段々低い位置に降りて来る。
(あ〃落ちるな)と思ったとたん、まるで反物を投げつけたかのような幅の広い稲妻が、目のくらむ光を発しながら地に突き刺さったと同時に、「ガリリリン」という大音響が、町中を押し包んだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月24日(土曜日)
【晴】《23日の続き》
手洗い場の屋根の下から飛び出すと、私達は瞬く間に全身ずぶ濡れになり、叩きつけるような大粒の雨に「痛えっ、顔が痛えよ。息が出来ねえよ」と、みんな口々に喚き声をあげて、襲って来る恐怖を紛らせる。
ヒザの直ぐ下のあたりまで跳ね返って来る水しぶきで、足元はまるで川のようになっていた。
通りに面した家の軒下に、体を押し込むようにしながら歩いていても、上と下から容赦なく降りかかる雨に打たれた体は、まるで氷室にでも入っているかのように、みるみる冷たくなって行く。
厚い雨雲に陽は遮られて、あたりは夕暮れのように暗くなっている。
その薄闇を切り裂いて、白熱の稲妻が縦横に走り回り、そのあとを追って、天が破けたかと思う程の大音響が、ほとんど切れ目なく轟きわたり、横っ面を降りとばすような突風が、庇の簾を虐り続けている。
荒れ狂う外の道には、私達以外に人の姿はなく、私は段々心細くなって来て、思わず「おっかねえな」と口を滑らせてしまった。
とたんに和雄がワーッと泣き出して、その場にしゃがみ込んでしまい、つられてクン坊が泣き出すと、全員の気力がみるみる萎えてしまい、とうとう動けなくなってしまった。
「ウワッ、ウワッ、もうダメだっ。俺ぁもうダメだ。これ以上雨ん中にいたら死んじまいそうだ」
オブチンが泣きを入れると、今度は宮内が「俺ぁ濡れるんは平気だけどよ、カミナリはおっかねえよ。さっきから小便ちびりそうだよ」と弱音を吐いた。
どしゃ降りは益々強くなって、雷鳴も降りに合わせるかのように勢いを弱めない。
野生名物の雷は、その日も足利の上空で大暴れしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月23日(金曜日)
【晴】《22日の続き》
8月も盆を過ぎる頃になると、午後は毎日のように夕立が来た。
遠雷の音がゴロゴロと地を転がるように鳴り響き、空は瞬く間に暗くなって来る。
肌に冷たい風がサッと吹き抜け、やがて大粒の雨が、まるでバケツをひっくり返したように降り始めるのだ。
雷鳴と稲妻は絶え間なく暴れ狂い、さっきまでの暑さが嘘のように消えて、少し肌寒くなる程の涼気が吹き抜けて行く。
「オッ、うまい具合に夕立が来るぞ。和雄、かまわねえからフンドシ脱いで、濡れたパンツとズボン履いちまえ。それでな、夕立が来たら雨んなかを帰るんだ。そしたら全身ずぶ濡れになるから、着てるもんがビショビショになったって、母ちゃんに怒られずに済むじゃねえか」
そう私が和雄に言うと、山本が「エーッ、どしゃ降りの中を帰るんか。俺ぁヤダな。わざわざ濡れたくなんかねえよ」とボヤいた。
「別にオメエも一緒に来てくれなって頼んじゃいねえよ。大屋と一緒に勝手に帰ればいいじゃねえか」
私は少しムッとしたので、そう言ってやった。
「俺と和雄は、夕立が来たら雨ん中を帰るけど、みんなどうする」
「そうすんべ、暑くて汗だくだから、かえって気持ちがいいぞ」
大屋と山本以外は、みんな雨の中を帰る事になって、私達は夕立が来るのを待った。
待つまでもなく、何十個の金ダライを投げ落とすような、ガラガラという音と共に、いつものどしゃ降りの雨が、強い横風と共に降り始めた。
境内のあちこちにいた人達は、めいめいにキャーッという悲鳴をあげながら、手近な雨宿り場所に飛び込んで行く。
「それっ行くべ。和雄、なるべくビショビショになって、ズボンの糞の臭いを消すようにするんだぞ」
「ウン」
和雄は母ちゃんに叱られるよりは、いつもなら恐くて仕方がない稲光と雷の音の中を行く方を選んだ。
「大丈夫、めったに落ちやしねえよ」
私も本当は少し恐かったが、やせ我慢をしてそう言うと、和雄は今にも死にそうな顔をしていたが、それでも「ウン」と力強く応えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月22日(木曜日)
【晴】《21日の続き》
「和雄よ、早くズボンとパンツを脱いで、水飲み場で洗え。ついでにケツもよく洗うんだぞ。ズボンは俺んちの釜場で乾かしてから、母ちゃんにバレねえようにして家に帰れ。もしバレてみろ、また戸棚に入れられるぞ」
やっと泣き止んだ和雄を、私は親切ごかしになだめすかしたが、本当は家に帰ったあとに、この事で大目玉を食らうのが嫌だったのだ。
「だけどズボン洗っちゃったらフルチンになっちゃうよ。俺はフルチンで家に帰るのはヤダよ」
「バカ、フルチンで家まで帰れる訳ねえだろうが、一緒にいる俺達が恥ずかしいじゃねえかよ。オメエ手拭いを持ってるよな。それとバンドでフンドシを作るんだ。そうすりゃあ水浴び(水泳)の帰りだと思って、誰も何とも思わねえよ」
また泣き出しそうになった和雄を何とか言い包めて、参道脇の手洗場まで連れて行くと、さすがに気持ちが悪かった和雄は、モソモソとズボンとパンツを脱ぐと、手洗桶から流れ落ちる水を手で受けては、何度も何度も自分のケツを洗った。
「ねえ、ウンコ落ちた?」
「あ〃落ちた落ちた。早くズボンとパンツ洗っちまえ」
「フルチンのままじゃヤダよ、フンドシ作ってよ」
私は仕方なく、和雄のズボンからバンドを抜き取ると、それを和雄の裸の胴に巻いて、渡された手拭いを前後に挟むと、うしろの余った部分をバンドにしばりつけ、前の余った部分は広げて垂らし、即座の越中フンドシにした。
このやり方は、水泳パンツがない時に水泳ぎするのに、よく使ったのだが、パンツを濡らさずに済むので重宝したものだった。
とりあえずフルチンにならずに済んだ和雄は、ズボンについた糞が手につかないように、ビクビクしながら洗い始めた。
何度か揉み洗いしている内に、糞はきれいに落ちたので、今度はパンツも洗ったが、そうこうしている内に空が急に暗くなり始め、どうやら一雨来そうな気配になって来た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月21日(水曜日)
【晴】《20日の続き》
「うわっ、汚ったねえ。和雄オメまるでバタケンの子供みてだな」
宮内が逃げ回りながら言ったとたん、和雄は「ビエーッ」と泣き返しを始めた。
「バカッ、余計な事を言うんじゃねえよ。あんまり泣かすと、家に帰っても泣きがバレて、和雄の母ちゃんが、また押してくるぞ。あの母ちゃん物凄くおっかねえからな」
和雄の母ちゃんは、どんな時も物静かで声も小さく、他の家の母ちゃん達のように、頭に来ると大声を出しながらホーキを振り上げて悪ガキ共を追っかけ回したり、大きなゲンコツで頭をぶっとばすような事はなかった。
その代わり、和雄をいじめたりした事が分かると、そいつを捕まえて、静かにじっくりと長叱りを始めるのだ。
外で捕まらない時には、そいつの家に来て「こんにちは、高際ですけど、いつもお世話になります。◯◯ちゃん帰ってますでしょうか。もし帰っているようでしたら、ちょっとお話がしたいんですけど」と相手が誰であろうと、有無も言わさず引っ張り出すのだ。
決して怒鳴ったり怒ったりしている訳でもないから、そいつの家の親も、気色ばんで応待する事が出来ず、ついつい和雄の母ちゃんのペースに乗せられて、自分の子供が長々と叱られている脇で、時々和雄の母ちゃんに相槌を打ったり、時には一緒になって自分の子供を叱ったりしている。
和雄の母ちゃんの文句は、短くても10分、長い時には30分位は続くだろうか。
だから大抵の悪ガキは途中からメソメソと泣き始め、最後には「ごめんなさい、もうしません」と言わせられてしまう。
この辺の奴で、和雄を泣かせない奴なんて、ほんの数人しかいなかったから、和雄の母ちゃんは、大抵の家に足を運んでいる事になる。
だから和雄の母ちゃんは、近所で一番おしとやかで、一番おっかない母ちゃんだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月20日(火曜日)
【晴】《19日の続き》
和雄は箸と弁当を持った両腕を広げるようにして、ウンコ座りをした腰を中途半端に浮かせると、「ビエーッ」と死にそうな声を出して泣き出した。
目いっぱい開いた口から、ヨダレと飯粒がボロボロ落ちて来て、それに涙と鼻水が一緒になるものだから、汚くて誰も直ぐには近付けなかった。
うしろを見ると、和雄のケツの下は、まるでミットを当てたように、犬の糞がベッタリとついていて、それがまた物凄く臭かった。
表面だけ乾いていても、中はまだ生だった糞の上に、和雄の奴がどっかりと腰をおろしたものだから、まだ生の中身がビチャッと潰れて、和雄のケツいっぱいに張り付いてしまったのだ。
和雄は屁っ放り腰で弁当と箸を持ったまま私達の誰ともかまわずに助けを求めて近付いて来るのだが、みんな臭いのと汚いのに恐れをなして、和雄を遠巻きにしながら逃げまわった。
必死に助けを求めているのに、誰も自分に手を貸してくれない事が分かると、和雄はとうとう弁当を投げ出してその場に倒れると、完全に泣き入ってしまった。
こうなるともう汚いとか臭いとか言ってられない。
とにかく何が厄介かと言って、泣き入ってしまう程に厄介な相手はいないのだ。
何しろ泣きの頂点のまま硬直して、それが30秒位続くものだから、顔は真っ青になって来るし、唇なんか紫色に変色してしまうのだ。
本人だって息をしたいと思っているのだろうが、いったん泣き入ってしまうと、しばらくの間は呼吸はおろか身動きだって出来ない。
この時、もしも口の中に物が入っていたりすると、最後に息を思い切り吸い込む時に、食べ物が気管に詰まって大変な騒ぎになる事だってある。
そんな光景に何度か出くわしているので、私達はハラハラしながら和雄の様子をうかがっていたが、硬直が解けて大泣きに入る前の息吸いも、どうやら無事に出来たようで、ホッと胸をなでおろすのだった。
大泣きしながら転げ回っている和雄が静かになるには、それから10分位かかったが、やっとぐずり泣きに落ちついた和夫のそばに恐る恐る近寄って「オイ、今そばに行くから、俺達に抱きついたり足つかんだりするんじゃねえぞ」と言うと、和雄は意外にハッキリと「ウン」と返事をした。
和雄のズボンは、糞と土ボコリで物凄く汚れているだけでなく、口からこぼした飯とヨダレと涙と鼻水に、転げ回った時についた土ボコリがへばりついたので、まるでゴミ箱から引きずり出したゴミのようになっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月19日(月曜日)
【晴】《18日の続き》
高島屋の交叉点を渡った井草通りには、珍しく道の両側に歩道があったので、私達の暮らしている緑町近辺とは違った雰囲気が漂い、いかにも中心街だなあと、ここを通る度に思うのだった。
「せっかくだからよお、太鼓橋を渡って中に入らねえか」
宮内が言うと皆「そうすべえ、そうすべえ」
大日様のお祭りに来た時には、大抵西門から入るのだが、みんな今日は何となく正面の仁王門から入りたいと思っていたのか、誰も反対しなかった。
太鼓橋は「鑁阿寺」の南門、すなわち正門の前に架かっている屋根付きの木橋で、足利の名所のひとつになっていた。
仁王門をくぐると、本堂へと続く参道の両脇は、椎や欅やモミジなどが鬱蒼と生い茂る深い森で、本堂に向かって右側には鐘楼、左側には多宝塔が、森に埋もれるように建っている。
多宝塔の前にそびえ立つ大イチョウの木は、いつ見ても凄いなと思う。
私達は日影を求めて森の中に入り、あまり下生えのない欅の木の下に座って弁当を広げた。
半分ほど食べた頃だったろうか。何となく臭い匂いが私達の座っているあたりを包んでいるのに皆がほとんど同時に気付いた。
「オイッ、何だか糞臭くねえか」
「そうなんだよ、俺もさっきから何だかくせえなと思ってたんだ」
「どっかに犬の糞があるんじゃねえのか」
皆がそれぞれに、自分の近くの地面を恐る恐る探ってみたが、それらしい物は見付からなかった。
それにも関わらず、糞の臭いは益々強くなって、みんな思わず弁当を手に持ったまま、その場を立ってしまった。
ところが、なぜか和雄だけが地面に座ったまま立とうとはしない。
それどころか、何だか顔が変に引きつって今にも泣きそうな感じになっている。
「カズ、まさかおめえ糞の上に座っちまったんじゃねえだろうな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月18日(日曜日)
【晴】《17日の続き》
「もしかしてバタケンは、ここに住んでるんじゃねえか」
「多分そうかもしんねえな。ここなら奴の仕事にぴったりの所だしな」
「でもよお、バタケンが獲物を持って行くのは、緑町2丁目の安藤だんべ。だったら少し遠くねえか。それによお、何でバタケンは今日の獲物を金にしねえんだ。ここに住んでるんなら帰って来る前に、安藤仕切屋に寄って来るだんべによ」
「バカ、今日は日曜で安藤は休みだ。あそこは役所と同じように日曜日が休みなんだぞ」
なぜかオブチンは、そういう事には誰よりも詳しく、まるで大人みたいな知識を持っていた。
確かにバタケンは、このバタ屋部落に住んでいて、今日の獲物は明日持って行くのかもしれない。
もしそうなら、私達の尾行もここまでで終わりという事になる。
私は少しホッとした気持ちと、何か物足りない気持ちの入り混じった、妙な気分になっていた。
そんな気持ちは私だけではないらしく、見渡すと、誰もがそんな似た表情をしていた。
「あ〃、腹減ったな。この辺で飯食わねえか。この暑さじゃ弁当が駄目になっちゃうぞ」
オッちゃんの言葉に、私達は自分が腹ぺこだった事に気付いたが、ここは陽をさえぎる所もなく、弁当を広げるのには場所が悪すぎるのだった。
「ここまで来たんなら、弁当は大日様まで行って食わねえか。あそこなら物影もあって涼しいし水もあるしよ」
宮内が言うと、みんな「そうだそうだ大日に行くべ」と声を揃えて賛成し、中橋通りを北に向けて下り始めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月17日(土曜日)
【晴】《16日の続き》
渡良瀬川を挟んだ対岸の山辺地区は、もう異郷といっても良い程に生活圏が違っていたから、一人ならともかく、これだけの人数を揃えて入って行けば、よほど注意しないと向こうのガキ共に見付かって、こっぴどい目に会うかもしれないのだ。
だからバタケンが橋を渡って行かないように祈るばかりだった。
両毛線を渡ったバタケンは、つきあたりのT字路を、右には行かず左に折れたのを見ると、一同は思わずホッとため息をついた。
この道は両毛線の南を線路に平行していて、少し高い位置を東西に走り、東は中橋通りと交叉して足利駅の前に出る。
狭い街道だが、古い料亭が渡良瀬川に面して建ち並んでいて、何となく風情のある佇まいがあったが、それだけにゴミ箱の中身にも、他の町内にはない獲物があるのかもしれない。
そのせいか、バタケンは一軒一軒のゴミ箱を、他と比べるとかなり熱心に漁っていた。
多分この辺の獲物は、あとで金に代える物ではなく、食い物にちがいない。
以前にも耳にした事があったが、ほとんど手のついていない鯛などのご馳走が、無造作に捨てられている時さえあるのだという。
もう昼に近い頃だったから、バタケンは昼飯を探しているのだろうか。
そう考えると私達も急に腹が減って、家から持って来た弁当を広げる場所があればいいなと思った。
それにはバタケンがどこかで腰をすえてくれなければ、私達も弁当を食べる訳には行かない。
この街道のゴミ箱漁りに、かなりの時間を使ったバタケンが、ようやく大八車を引っ張って次に向かったのは、中橋が架かっている土手をおりた橋の下で、ここには相当大きなバタ屋部落があって、足利の影の名所のひとつになっていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月16日(金曜日)
【晴】《15日の続き》
酒屋を出たバタケンの曳く大八車は、相変わらずガラガラと騒々しい音を発てながら道を北に進んで、老舗ソバ屋の立花屋と末広座の四ッ角を右に折れて、通称「南銀座通り」を東に向かって行く。
この辺は織物買継問屋の店が両側に低い軒を並べていて、足利でも古い街並みの風情がある所だったが、「末広座」の次の四ッ角には、悪名高い「太平洋ダンスホール」の2階建のビルがあり、2番目の兄の言うのには、そこは軟派の不良が集まる所で、少し前ならば皆国賊とか非国民とか呼ばれる奴らなので、近くを通るのさえ汚らわしい場所なのだそうだ。
いくら子供の私でも、それはダンスの出来ない兄のやっかみだと直ぐに分かったが、心のどこかでは気になっているのだろうか、何かの折に太平洋ダンスホールの前を通る時には、何となく後ろめたい思いに襲われるのだった。
バタケンは私のそんな気分には関わりなく、ホールのあるビルのゴミ箱を熱心に漁ると、いくつかの獲物を大八車の上のザルに入れ、やっと舵棒を前にして先に進みはじめた。
「あいつ、いったいどこに行くんだんべな。真っ直ぐ行くと中橋通りだから、家からどんどん遠くなるし、右に曲がって鉄橋渡ったら、山辺に行っちまうぞ。オラ山辺には行きたくねえな」
オチ坊がまた泣き言をいいはじめると、今度は山本が「あんまり遠くに行くと父ちゃんに怒られるんだよな。だから鉄橋渡って行くようなら、俺は悪いけんど帰らせてもらうからな」と弱音を吐いた。
山本は父ちゃんに怒られるのが恐いのではなく、橋を渡って山辺に入るのが恐いのだ。
山本だけでなく、みんなも同じ気持ちだったから、奴の本音など、とっくにお見通しだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月15日(木曜日)
【曇】《14日の続き》
バタケンといえば、子供から大人まで皆知っている位に有名だけれど、本当の素性は意外に知る人が少なくて、そのあたりが謎の多い人物だった。
それでも近所の人達の中には、バタケンは資産家の生まれで、軍隊では将校だったとか、いいや、あいつは東北生まれで、戦時中は兵隊にとられるのを嫌がって逃亡し、戦争が終わるまで白神山地を何年も転々としていて、警察や憲兵がどんなに追いかけても絶対に捕まらず、とうとう終戦まで逃げ切ったのだという人もいた。
そう言われればバタケンは少しなまりがあったけれど、栃木県だって少し北に行けば、相当に強いなまりになるし、茨城の方も、それに負けない位のなまりがあったから、バタケンが自分で「俺は東北の出だ」とでも言ったのならともかく、少し位のなまりで、東北人と決めつける訳にもいかないだろう。
中にはバタケンは昔人を殺して追われているんだとか、以前は良い家だったのだけれど、バタケンが道楽で身生つぶして夜逃げして来たんだとか話す人もいたが、多分その辺が本当のところなのかもしれないと、父と母が客を相手の茶飲み話で語っていた事を思い出した。
そんな目で見ると、のび放題のザンバラ髪と不精髭や、垢でテラテラ光っているボロ服、どこのドブで拾って来たのか分からないような長グツという、いつも見慣れたバタ屋の様子の向こうに、何となく凛としたものが伺えるから不思議だ。
私は思わずブルブルッと、訳の分からない武者震いのようなものに襲われて、物影に隠れながら、ボヤーッとした妄想じみた思いを追い払った。
前の店とは違って、いやにゆっくりと時を過ごしていたバタケンも、ようやく満足したのか、手に持ったコップをカウンターの上に置くと、ユラユラと体を揺らせながら通りに出て来たのをみとめると直ぐに、私達は素早くバタケンの視界から遠ざかって、いつでも尾行を開始できるように身構えた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月14日(水曜日)
【晴】《13日の続き》
「谷医院」のゴミ箱を漁っていたバタケンが、ようやく満足して車を曳き始めると、私達も距離を置いて尾行を開始した。
山本と大屋に、歩きながら賭けの事を説明したところ、二人は大乗り気で「やるやる、俺も賭ける」という事になり、私と同じ飲み直す方を選んだ。
これでバタケンが飲むという方と飲まないという方が、ほぼ5分5分になったので、万一負けてもなんか面目が立つ。
結局飲む方に賭けたのが、私とオチ坊そして大屋と山本で、飲まないという方が、オブチンとジュンちゃん、それにオッちゃんとマー公、そしてクン坊という組み合わせになった。
バタケンは5丁目の踏切前の広場を横切り、その先にある、もうひとつの小さな踏切に通じる四っ角を、踏切の方とは反対の「末広座」の方に曲がると、通りの左側にあった小さな酒屋に入っていった。
それを見ると、私達飲む方に賭けた奴らは、思わずワーッと喚声を上げてしまい、慌てて物影に身を隠した。
通りに面した家のヒサシの下を、まるで忍者のように酒屋に近付き、店のガラス戸越しに中をうかがうと、運良くバタケンはこちらに背を向けて、コップ酒を一気にあおっているところだった。
さっきとは違って、ここの店のオバさんは一升ビンを抱えながら、意外に愛想良くバタケンに話し掛けている。
(ヘエーッ、中にはバタケンみたいな奴と仲良くしている人もいるんだなあ)
私はバタケンには友達など誰一人としているはずがないと思い込んでいたから、目の前の情景が直ぐには信じられず、何だかキツネにつままれたような気がした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月13日(火曜日)
【曇のち晴】《12日の続き》
八百屋の物影から、一心に獲物を漁っているバタケンを見張っていると、急に背後から「オイッ、オメ達こんな所で何やってんだ」と声が掛かった。
ビックリして後ろを振り向くと、山本と大屋がボケーッとした顔で突っ立っている。
「バタケン、バタケン。緑町からつけて来てるんだ」
「何で?」
「バタケンが汽車っぴきで死んじまったって言いふらした奴を、とっ捕まえてぶっとばすって言うんで、それが見たくって弁当持ちでつけるんだよ」
それを聞いた山本と大屋は「おっもしれぇ、俺らも一緒に行っていいか?」と、嬉しそうに言った。
「いいけど、さっき交番で相手を教えてもらえねえって、バタケンの奴えらい勢いで怒ってたから、多分決斗の現場は見られねえぞ」
「んじゃあ何でバタケンをつけてるんだ?」
「せっかく弁当まで用意したんだもの、このままじゃ帰れねえじゃねえか。だからバタケンの奴が、いつもどこら辺までバタ屋やって歩いてるんか、今日はじっくりと確かめてみんべえという事になったんさ。オメ達どうする。一緒に来るか?」
「行くっ、行くっ、絶対行くよ。最後までつきとめてんべえよ」
山本と大屋は喜び勇んで私達の仲間に入った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月12日(月曜日)
【晴】《11日の続き》
(頼むバタケン、西宮の方じゃなくて真っ直ぐ行くか、どこでもいいから右に曲がって表通りに出てくれよ)
私は心の中で必死になってバタケンに呼び掛け続けた。
その甲斐があったのかどうかは分からないけれど、バタケンは耳鼻科の泉医院の角を、うまい具合に右に折れて行った。
(しめた、これで少しは勝目があるぞ)
私は内心ホッとして皆と一緒にバタケンのあとを追った。
この道の先は、左角が時計屋で右には金物屋があり、時計屋の何軒か先が酒屋になっている。
うまくすればバタケンの奴、その店に引っ掛かるかもしれないと思ったが、どっこいそうはいかなかった。
バタケンは店を見向きもしないで5丁目の交差点の方に車を曳いて行き、手前の荒物屋の前から反対側の「舟定」の方に向きを変えると、その露地を「いそべ質屋」の方に入って行った。
この分ではバタケンは真面目に仕事をする気でいるのかもしれない。
しかし、それでは私の負けになってしまうので、何とかバタケンが酒屋に引っ掛かってくれないかと一心に願った。
バタケンは南銀座通りを横切り、両毛線沿いの裏道の右角にある「谷医院」のゴミ箱を漁り始めたが、何か特別な掘出物でもあったのか、なかなかその場を離れようとはしなかった。
私達はバタケンに気付かれないように、少し遠くから様子をうかがっていた。
そこは八百屋の角店で、結構人の出入りもあったので、バタケンの様子を見るのには好都合だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月11日(日曜日)
【晴】《10日の続き》
バタケンは昼間でも大抵酔っぱらっていたから、おそらくアル中になっているのかもしれない。
一気に飲み干して、空になったコップを差し出したバタケンに、酒屋のおじさんは右手を大きく振って駄目と言っている。
バタケンはムキになってもう一杯と喚いているようだったが、おじさんは頑として首を縦に振らず、バタケンに負けない位に大声で怒鳴り返しているのが、こっちから手に取るように分かる。
「バタケンの奴、あんなに酒を飲む金がよくあるよな。バタ屋ってのは、結構儲かるんだなあ」
まるで大人のような調子のジュンちゃんの独り言に、みんなも思わず「そうだなあ」と感心してしまった。
結局バタケンはコップ一杯だけで店を追い出されると、何かブツブツと文句を並べながら大八車を曳いて、「逆さ川」に沿って織姫神社の方へ歩き始めた。
「あいつ多分また酒屋に寄って飲むぞ」
オブチンが少しガラガラ声で自信たっぷりに言うのを聞くと、みんな「それじゃあ飲むか飲まねえか賭けんべえ」という事になり、負けた奴はペタン10枚か玉っき(ビー玉)10ヶを払うというところで話が決まった。
私はバタケンが絶対また飲むと思ったので、そっちに賭けたのだが、意外な事に飲むと思った人数の方が少なかった。
(これはやばいな)と後悔したが、もう間に合わない。
それに「逆さ川」に沿って進むと、しばらくの間は酒屋がないのだ。
だから途中で右に曲がって大通りに出るか、もう一本南の通りに出てもらわないと困る。
反対に左に曲がって西宮の方に行かれてしまうと、もうお手上げになってしまう。
そっちには酒屋が一軒しかなく、しかもその酒屋の前に出る道は、もう通り過ぎてしまっていたのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月10日(土曜日)
【曇】《9日の続き》
交番出たバタケンは、脇の車寄せから大八車を出すと、ガラガラと音を発てながら坂を下って7丁目の四ッ角を左に曲がって行く。
「やべえな。あのまま西宮の方に行くと、俺達の隠れる場所がねえよな。そしたらどうすんべ」
オチ坊が不安そうに言うと、大塚のジュンちゃんが「バカ、まだ西宮の方に行くと決まった訳じゃなかんべ。心配はバタケンがそっちの方に行ってからしろよ」と、口をとがらせながらオチ坊に言うと、オチ坊は「それもそうだな。あ〃心配して損した」と、馬鹿に間の抜けた調子で答えたものだから、皆は思わず爆笑してしまった。
そのとたん、荷車を曳いていたバタケンが、何となくうしろを振り向く気配を見たので、私達は慌てて脇道に飛び込んで身を隠した。
「オメ、だめだよデケエ声出して笑ったりしちゃあ。バタケンが気付いたらどうすんだよ」
金子のタケちゃんが声をひそめて隣のクン坊に言うと、クン坊は「分かったよ。だけどタケちゃんだって笑っていたんべに」と言い訳すると、タケちゃんは「俺は小せえ声で笑っただけだから、バタケンには聞こえやしねえけど、オメは100m先まで届くくれえデケエ声で笑ったじゃねえかよ」とクン坊を責めるのだった。
そうこうしている内に、バタケンの荷車は道の突き当たりのT字路を右に折れて、角に消えて行く所だったので、私達は慌てて同じ道を一気に走り抜け、角からそっと様子を見ると、何とバタケンの荷車が、曲がって直ぐの四ッ角にある酒屋の前に置いてある。
もしかと思って、そっと店の中を覗いてみると、バタケンは口をへの字に曲げて不機嫌そうな店のおじさんからコップ酒を受け取ると、それを一息に飲みほしている最中だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月9日(金曜日)
【晴】《8日の続き》
そのまま進むと7丁目の通りに出て、左は切通しを抜けて今福、右は6丁目から1丁目へと市の中心地に至る。
バタケンは通りを強引に左折すると、切通しの入口の坂の途中にある7丁目交番に向かって行くようだった。
何も悪い事はしていないのだけれど、あの頃の子供にとって交番ほど嫌な所はなかった。
だから私達は交番から出来るだけ距離を置いて、バタケンの様子を見張る事にした。
幸いに交番の手前は「常念寺」という寺で、同級生がいるからよく遊びに来ていたのだ。
私達は何食わぬ顔をして寺に入ると、交番の東に開いた窓から中の様子をうかがった。
そこからはお巡りさんの顔は見えなかったが、目を剥いて何か喚いているバタケンの顔がよく見えた。
お巡りさんは盛んに手を上げ下げしている所を見ると、何とかバタケンをなだめようと一生懸命のようだった。
その内に少し落ちついたバタケンは、しぶしぶ椅子に腰を掛けると、もう一人のお巡りさんが入れてくれたお茶を飲みながら、せんべいを食べ始めた。
多分バタケンは自分を死人にしてしまった人の所在を尋ねに交番に来たが、相手の家を教えてもらえずに腹を立てたところを、お巡りさんになだめられたのだろう。
この分ではバタケンと相手との大立ち回りは、残念ながら見られそうもなかった。
とは言っても、せっかく弁当まで用意して来た以上、このまま手ぶらでは帰れないので、皆で相談して、行ける所までバタケンを尾行する事に話は決まった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月8日(木曜日)
【晴】《7日の続き》
バタケンが通る道筋の人達は、大八車のガラガラという音を聞くと、急いで家の周りに置いてある物で、持って行かれては困る品物を中に運び込み、難を逃れるのだった。
約50m程の距離を保ってバタケンを尾行して行くと、バタケンは鈴木タバコ屋の角を左に折れ、福厳寺大門通りと呼ばれている道を、各戸のゴミ箱をあさりながら進んで行く。
当時のゴミ箱は大抵が杉板で作られていて、表面には防腐剤のコールタールが塗られ、近付くと独特の臭いが鼻をついた。
中に捨てられるのは、ほとんどが乾燥ゴミで、今でいう生ゴミの類は全くといって良い程ゴミ箱の中には見当たらず、古着や古道具などの少しましなゴミは、別にクズ屋さんという人達がいて、有料で回収して行った。
バタケンのような人達は決して金を払う事はなかったから、乱暴な言い方をすれば半分泥棒みたいなものだった。
それでも他人のゴミ箱をあさる時に、決して中身を外に散乱したりはしなかったから、路上に平気でゴミを捨てる現代人よりはマシだったのかもしれない。
めぼしい掘出物がなかなかないので腹が立つのか、バタケンは始終ブツブツと文句を言いながら、止まっては進み止まっては進み、やがて福厳寺の門前まで来ると、何を思ったか元来た道を引き返して来た。
私達は泡を食らって露地に駆け込み姿を隠して、相変わらずブツブツと誰にともしれない怒りを振りまいているバタケンをやりすごした。
福厳寺につきあたった道は、寺の石垣の下を右に折れて、足利公園の水道山に至る坂道の途中に出るのだが、バタケンのひく大八車では通るのが少し狭過ぎたから、多分大事をとって引き返して来たのだろう。
見ているとバタケンは逆川沿いに北の方に車を引っ張って行くようだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月7日(水曜日)
【晴】《6日の続き》
下を向いて泣く奴、逆に上を向く奴、かと思えば手放しで真っ直ぐ前を向いて泣く奴。とにかく毎日誰かが必ずピイピイ泣いていたから、よほど緊迫した泣きでない限り、みんな慣れっこになっていて何とも思わないのだ。
だからトシが少し位泣いたって誰も見向きもしないし、何より本人が期待していない。
そんな訳だから、みんながバタケンを追って通りに向かって駆け出して行く時にも、トシはさっきまでの泣きっ面などどこ吹く風という感じで、満面を喜色いっぱいにして走った。
表通りに面した木戸門の前で手をあげ、皆が通りに走り出ないように停止させると、私はそっと顔だけを門の外に出して様子をうかがった。
バタケンはもう「魚英」の前を過ぎて、鈴木カメラ屋の近くまで行っていた。
この位は慣れていれば、決して見失う距離ではなかったし、こちらの動きも察知しにくい。
私は今の距離を保って静かに尾行するように皆をなだめると、おもむろに通りに出てバタケンのあとを追い始めた。
バタケンは町内の要所に置いてあるゴミ箱をあさって、めぼしい物を拾うのが仕事だが、道に落ちているお宝を黙って持って行くのも、それ以上に熱心だったので、何気なく止めていた自転車や、子供用の三輪車などが、持ち主の見ている前でも、堂々と荷車の上に積まれてしまう事も度々だった。
我が家の隣の叔母の家でも、庭と道の境あたりに置いてあった三輪車を持って行かれたので、大急ぎで外に飛び出し、返してくれるように頼んでいる姿を見た事があった。
バタケンは「道におっこちてたから拾ったんだ。要るものなら捨てておくんじゃねえ」と、さんざん悪態をついてから、しぶしぶ三輪車を返してくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月6日(火曜日)
【晴】《5日の続き》
この辺ではトシが泣いたって、誰も本気にする奴はいないと、トシに限らず外観に異常がない奴の泣きは、基本的に相手にしないという不文律がある。
だいたい少し張り飛ばされた位で、いちいちピーピー泣いている奴なんて、とても仲間の一人として野山を駆け回ったり、隣町の奴らと渡りあったり出来る訳がないのだ。
だから泣くんなら、走ったり飛んだり飲んだり食ったりしながらだったり、とにかく怪我して血を流しているか、でかいタンコブなど、誰が見ても分かる時以外は、泣いたって喚いたって誰も心配なんかしてはくれない。
特にトシの場合は、ほとんどが嘘泣きだったから、余計に相手にされない事が多かった。
しかし本人は本気で泣いていると思っているようで、決して人を騙そうとしている訳ではなかったから、嘘泣きとはいっても、それは大した訳もないのに、直ぐ泣いてしまう位の意味だった。
人見のボクは、泣くとゼンマイの壊れたオモチャみたいに、そこら中を転げ回って暴れた。
本島のケンさんは黙って涙をこぼしながら、自分を泣かした相手が泣くまで突っ掛かって来る。
高際の和雄は、少し間を置いてから、おもむろに顔をうつむけて、エーンと間のびした声を出しながら泣き始める。
圧巻なのは荒木のキチゲで、こいつは最初鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたあと、その顔が徐々に絶叫の時の表情になり、これ以上大きくは開けられない程ばかでかく口をあけたまま、約10秒間位動かなくなる。
その間は息をしていないので、唇は次第に紫色になり、次には肺に溜めていた空気を一気に吐き出して、まるでぶっこわれたサイレンのような声で泣き喚くのだ。
だからこいつのあだ名は「キチゲ野郎」、わがままで自分勝手なので、誰からも相手にされない嫌われ者だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月5日(月曜日)
【晴】《4日の続き》
あくる日の朝、約束の場所に皆が集合すると、とりあえずは私達の企みがバタケンに覚られないように、林のトシ一人だけを見張りに残して、全員が物影に隠れている事にした。
トシは私より3つ年下だが、素直でおとなしい性格のために誰からも好かれ、泣かされる事はあっても泣かす事など絶対にない奴だったので、バタケンにあやしまれずに通りを見張るには一番ふさわしい風貌をしていたのだ。
そんな奴だったから少し臆病なところもあって、見張りの役目を頼んだ時には、ヤダヤダと必死に拒むのを、おどしたりおだてたりして何とか承知させると、不安そうな表情で私達を振り返るトシを通りに置いて、私達は露地を入ったオチ坊の家の前まで後退した。
トシにはバタケンが来ても直ぐに知らせに走ったりせず、通り過ぎるまでしらんぷりしていろと忠告しておいたのだが、果たしてバタケンに気付かれないように演技出来るかどうか、正直物凄く心配だった。
待機して15分もたたない内に、トシが「来たっ、来たっ」と大声を出しながらバタバタと走って来た。
「バカヤロ、でけえ声出すんじゃねえよ。さっきあれほどバッくれていろって(しらばっくれる)言ったじゃねえかよ」
私は近付いて来たトシの頭を思いっ切り張り飛ばしながら、声をひそめてどやしつけた。
「痛ぇ、痛えよ」
トシが泣く時には、下唇が必ずクルッとめくりあがるのだ。
その時もトシは、めくりあがった下唇の両端からヨダレを流しながらビイビイと泣き喚くのだった。
「うるせえギャアギャア泣くんじゃねえ。バタケンが気付いたらどうするんだ」
私はトシを怒鳴りながら、更に一発張り飛ばすと、トシはピタッと泣き止んで、さも恐そうに通りの方を振り返った。
今ギャアギャア泣いていたかと思うと、次の瞬間にはピタッと泣き止むのもトシの特技だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月4日(日曜日)
【晴】《3日の続き》
バタケンの話には後日談があり、事故の次の日にバタケンがいつものボロ車(大八車)を引っ張って、ガラガラと通りをやって来たので、町内中が大騒ぎとなってしまった。
何しろ死んだはずの人間がノンビリと歩いているのだから、誰だって驚いてしまう。
「何だいケンさん、あんた死んだんじゃないんだ」
「当たりめえだんべ、全く馬鹿にしやがって、何で俺が死ななきゃなんねんだよ。どこのどいつが、のてこともねえ大ボラを吹きやがったんだ。お巡りに聞いてロクでもねえ奴が誰だか分かったら両腕おっぺしょってくれっからな」
「まあ、そんなに怒りなさんなよ。よかったじゃねえか、無事だったんだから」
「何がいいもんだんべよ。人の事だと思って好き勝手な事いいやがってよ。おらあ腹の虫が納まんねぇ」
バタケンの恐さは、この辺の子供達で知らない奴はいなかったから、私達はバタケンが犯人を見付けだしたら、絶対に仕返しをするだろうと信じていたので、出来ればその時の修羅場を高見で見物したいと思い、しばらくの間バタケンを尾行する事になった。
考えてみると私達がバタケンの姿を見るのは、ほとんど本町の中に限られていたから、本当のところあの大八車を引いて、どの辺まで足をのばすのか全く分からなかった。
だから尾行するといっても何の用意もなしにとは行かず、とりあえず今日は中止して次の機会を待つ事になり、明日は今日と同じ時間に、かなり遠くまで行っても大丈夫なように、各自弁当を用意して集まろうという事になった。
私達は残り少ない夏休みの最後を飾る冒険に、みんな手を打って喜び合った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月3日(土曜日)
【晴】《2日の続き》
バタケンの事故を知らない奴なんて、緑町界隈では犬か猫くらいのものだったろう。
我が家でも祖母までが噂話の輪の中に入って、朝から大張切で話をしていた。
「お〃やだやだ。だから私や岡蒸気は嫌いなんだよ。けむは吐くしガタガタとうるさいし、ぶつかりゃ危ないしね。あんな物は本当は無くなっちまって、代わりに馬車を走らせれば事故もないし安心して乗れるのにね」
私は思わずプーッと吹き出してしまった。
言うに事欠いて蒸気機関車を「岡蒸気」とは、まるで時代遅れではないか。
「お祖母ちゃん、今どき汽車を岡蒸気なんて言ったら笑われるよ」
「おやそうかい、でも私が娘の頃は皆そう呼んだものだよ」
「そりゃあ江戸時代の話じゃないかい。今そんな事言ってる人なんか誰もいないよ」
「バカお言いでないよ。はばかりながら私だって、れっきとした明治生まれなんだから。江戸時代はお前のひいお祖母さんだよ」
ひいお祖母ちゃんは、私が生まれるずっと前に死んでしまっているけれど、仏壇の中に安置してある写真を見ているので、何となく親しみがあった。
このひいお祖母ちゃんは祖父の母親だったが、私は母方の祖父母や、その上の曾祖父母については、会った事もないし写真を見た事もない。
物心ついた頃には母の実家も昔日の姿はなく、ただ菩提寺の広大で古びた墓所だけが、かつての隆盛を物語っているだけだった。
私は子供ながらに、時というものが人の世に及ぼす力の大きさを感じて、思わずぶるっと身震いをした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月2日(金曜日)
【曇】《1日の続き》
昼食も忘れて飛び回っていたのが親に知れると、きついお仕置をされる危険があるので、私は母屋に近付くと玄関から中に入らずに、そっと勝手口にまわってみた。
幸いな事に人の気配がないのを確かめ、抜き足差し足で台所にあがり、音を発てずに2階への階段を昇っていった。
2階にも誰も居ず、私はしめたと思って下に降りると、台所の食卓に座って、用意してある昼食をかき込んだ。
冷飯に冷たいミソ汁をぶっかけ、ナスやキュウリの漬物と冷奴とカボチャの煮付をおかずに、あっという間に3杯たいらげると、やっと人心地がついたので、4杯目はゆっくりと口に運んだ。
最後は流しに冷やしてあったトマトに塩をつけて、そのままかぶりついて昼食を終えた。
落ちついたところで今日の事を考えてみると、やっぱりクン坊の言う通り、私達のした事は少し気ちがいじみていたかもしれない。
いったい何だって人の死という最大の不幸を、あんなに興奮して見たがるのだろうか。
胴体から離れた人の首を探すというとんでもない事が、何であんなに面白いと思ったのだろうか。
私は冷静になったあとで、今日の自分達の行動が、とても罪深い事のように思えてならず、気が付くと深く後悔していた。
多分他の仲間も、今頃は嫌な気分になっている事だろう。
私は、それを確かめたくなって、誰かをつかまえるために外に出て行った。
間もなくオチ坊が自分の家の前にボケッと立っているのを見付けたので近付いて行くと「コーちゃん、さっきは面白かったな。また誰か汽車に轢かれねえかな。そしたら今度こそ首を見付けてやるんだにな」と、嬉しそうに言った。
私は物も言わずオチ坊の頭にゲンコを落とすと、ビービー泣き喚く声をあとに、その場を立ち去った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
- 平成17年9月1日(木曜日)
【晴】《31日の続き》
線路の南側は、幅2m程の緑地を挟んで、「日紡」の高い塀が東西に連なっていて、雑草に埋め尽くされた中を、沢山の人が5mおき位に入って、丹念に足元を探っている。
私達は北側の畑の中を線路に沿って散開し、髪の毛一本さえ見逃さない勢いで地面を這い回った。
ナスやトマトの畑は楽なのだが、雑草の中とスイカ畑ではヤブ蚊の大群に襲われ、みんな足や腕がボコボコになり、中には足長蜂に刺されて悲鳴をあげて逃げ回っている奴もいる。
しかし、いくら探しても首はおろか、骨のかけらさえ見付からず、何人かは暑さで気持ちが悪くなって、一人欠け二人欠けと、いつの間にか自由解散の形になってしまった。
それでも私と何人かは諦めずに地べたを這いずり回って、バタケンの首を発見するという栄誉を、何とか手にしようと頑張ったのだが、とうとう精根尽きてしまい、うしろ髪を引かれる思いで現場をあとにした。
「バタケンの首とうとう出て来なかったな。いったいどこにいったんだんべな」
「汽車っぴきの死体ってのは、バラバラになったのを集めても、絶対に元に戻らずに、どっかが無くなっちまうんだってよ」
いつの間に仲間に入っていたのか、宮内が目をむきながら、知ったような事を言った。
「ヤダなあ、俺ぁ来るんじゃなかった。今晩間違いなく夢見ると思うんだ。まいったな、何で来ちまったんかな」
少し落ち着いたせいか、クン坊が半ベソをかきながら泣きを入れてくる。
「もう見ちまったんだから仕様がなかんべ。ガタガタいうんじゃねえよ。バカ」
宮内は相変わらず強気だった。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
作家と工房のご紹介 ⇒ 肖像画の種類と納期 ⇒ サイズと価格 ⇒ ご注文の手順 ⇒ Gallery ⇒ 訪問販売法に基づく表示
| What's New | Photo | アトリエ雑記 | Links | BBS |
| ご注文フォーム | お問い合わせフォーム | ネットオークションのご案内 | サイトマップ |