アトリエ白美「渡辺肖像画工房」 渡辺晃吉
- 平成19年4月13日(金曜日)
【晴】
(12日の続き)
この夜の桜オニも、どうやら全員がダレてしまったようで、特にオニ達は完全にやる気をなくしている。
だからといって何も無理に捕まってやる義理はないから、私達はオニ共がダレているのを幸いに、少しずつ位置を変えながら、その場から遠ざかった。
そんな事は普段なら決してやらないし、仮にオニの近くで体を動かせば、まず間違いなく発見されてしまうだろう。
隠れ組がオニに捕まらないためには、とにかく暗闇の中で動かずにいるのが一番なのだ。
ゼン公も私も少し大胆になっていたが、何とか発見されずにオニ達から安全な距離まで逃げる事ができた。
金のトビの裏の斜面の茂みの中を、西に回り込んで南の斜面に抜けようと、辺りに気を配りながら、半分這うように進んで行く。
金のトビの広場を囲む斜面の、特に北側と西側は、他に比べてボンボリの数も少なく、闇が深いのは好都合なのだが、そのかわり森も茂みも薄いので、隠れ場としては不利な場所だった。
南に抜けられれば、大きな椎の木の森があるので、その中の一本にとりついて葉の影に入れば、地上とは違って体が楽なのがいいのだ。
ゼン公と私は、もう少しで南の椎の森に入れる所まで、何とか捕まらずに移動して来たが、ここまでだった。
西の斜面の茂みから出た直後に、何と近くの木の上からオニが降って来たのだ。
敵にも策士がいるもので、そいつらはクモみたいに木の上にロープでハンモックのようなものを作り、それに乗って地上を見張っていたというのだから、もう呆れて物も言えない。
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- 平成19年4月12日(木曜日)
【晴】
(11日の続き)
いつもの事だが、桜オニは始まりはあるが終わりというものがない。
オニも隠れ組も、やめたくなったら勝手に家に帰っても別に構わないのだ。
とは言え、ほとんどの奴は途中でやめる事はなく、何となく終わりになるまで付き合うのだが、その終わりというのが、大体は広場の舞台の出し物の終わりが合図のようになっていた。
桜オニに限らず夜桜見物の人達も、下の広場の舞台がしまると直ぐに、そそくさと帰りはじめるのだった。
桜オニは、山が賑わっていなければ全く面白くない遊びで、休む事なくスピーカーから流れる音と、ザワザワとした人の気配に満ちていてこそのものなのだ。
金のトビの隠れ場所から出て、人ごみに紛れて道を横切り、広場の東の斜面の茂みに身をひそめ、辺りの気配に神経を尖らせながら、少しずつ南に移動して行くと、いたいた。茂みの下の道を、懐中電燈を持った何組かのオニが、茂みを見上げながらこっちにやって来る。
ゼン公と私は息をひそめて少し後退すると、出来るだけ大きなツツジの木の下にもぐり込み、じっと身を伏せながらオニの様子を見ていた。
オニ達は時々気のなさそうに懐中電燈で茂みを照らしてはいるが、もう半分は投げやりなのが、暗闇の中でもよく分かった。
考えると無理もない。今夜はどうしてか、オニも隠れ組も最初のままで入れ替わりが全然ないようなのだ。
そんな時は本当にやる気がなくなってしまう。
それはオニだけでなく隠れる方だって同じで、あまり変化がないと、どうしたって集中力も切れるし飽きも来るのだ。
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- 平成19年4月11日(水曜日)
(10日の続き)
【晴】
私には難しすぎてよく分からなかったが、約束事を守らないのは、誰でもない自分自身を辱めるのだという事は理解できた。
新井さんに言われるまでもなく、仲間同士の約束を守れない奴なんて、そう居るものではないし、たまにそんな奴が出て来ても、そいつはもう仲間として扱ってもらえなくなり、そんな状態が1週間近く続くから、みんな恐ろしくて約束を破る勇気なんかないのだ。
だから決められた場所以外に身を隠す奴が本当に居たら、そいつを責めるだけでは済まずに、もう桜オニは出来なくなるだろう。
私は何だか心細くなってしまい、思わずゴソッと身動きしてしまった。
「しまった」と思ったが、運良くオニ達には気付かれずに済み、そのあと15分位じっと身をひそめていると、オニ達はそれぞれ思う方向に散って行った。
まさか自分達の目と鼻の先に獲物が身をひそめているなんて、誰も考えつかないのだろうか。
いくら暗夜とはいえ、辺りにはボンボリが闇を照らしているので、私が隠れている場所も、じっと目を凝らせば薄ぼんやりと位なら見えるはずだし、その気になって探されたら毛布を被った程度では直ぐに見付けられてしまいそうな気がする。
それなのにオニ達は、柵の中を見ようとさえしないのだから、いくら映画から盗んだとはいえ、ゼン公は本当に頭がいいなと思った。
それから一時間近くの間、時々毛布のスキ間から外の様子を見ながら隠れていたが、いつものようにオニの動きを察知して、あちこちと移動して行くのとは違い、捕まる危険は少ないけれど、とにかく退屈で仕方がないのが、この方法の欠点だ。
私もゼン公も我慢が出来なくなって、もう欲も得もなく毛布を剥いで外に飛び出した。
運が良い時というのはこんなものなのだろうか、外に身をさらしても近くには文字通りオニの姿はなくて、夜桜見物の人達がゾロゾロと歩いていた。
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- 平成19年4月10日(火曜日)
(9日の続き)
【晴】
ゼン公は自分の計画が予想以上にうまく行ったのに気を良くして、少し得意になっていた。
私はゼン公に活を入れ、わずかな油断が、身の破滅に繋がる事を強く訴えた。
ゼン公が渋々と毛布の中に戻ったその矢先、金のトビの北の斜面から、オニの一団が物も言わずに広場にあがって来た。
ゼン公も私も一瞬見付かってしまったかと、思わず身をすくませて次の「あ〃見付けた」の言葉に備え、捕まるのを覚悟した。
「どしたんだんべ、今夜は隠れ組の奴ら、いったいどこに消えたんだんべな。いっくら探しても全然見付かんねえよ」
「もしかして奴ら約束破りをしてるんじゃねえか。そうじゃなきゃ考えらんねえよ。もしそうだったら、奴らぶっとばしもんだな」
「そうだそうだ、ぶっとばしもんだ」
オニ共は自分達の探し下手を棚に上げて、てんでんに勝手な事を言い合っている。
確かに隠れ組が約束を破って、決めた場所の外に身をひそめたら、まず絶対に見付ける事はできないだろう。
だから今までに約束を破った奴は一人も居なかったし、もしもそんな事をしたのがバレたら、そいつは半永久的に桜オニに参加は出来なくなるに決まっている。
私はゼン公と毛布に隠れながら、約束を守る事の大切さを教えてくれた新井さんの言葉を思い出していた。
「いいか、誰でも人間として生まれる事は出来ても、人間として生きなければ、ただの人でなしだぞ。そのためには、まず約束を守る事。約束といっても誰かさんとの約束だけじゃなく、法律という国が決めた約束とか、町内の決まり事とか、学校の規則とか、色々な約束があるけれど、例えば、誰も見ていないからいいとか、自分勝手な理由で約束を守らないような事を続けているとな、人間は自分という袋に、その度に小さな穴を開けて行って、気が付くと中身が全部ぬけて、そうなると、もう人間じゃなくなってしまうんだな。
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- 平成19年4月9日(月曜日)
(8日の続き)
【曇】
「でもよお、このままだと一晩中見付けたって無理だぞ。組んで探すんが駄目なら何か別の方法を考えねえと、どう仕様もねえな」
誰かがオチ坊に反論すると
「だからよ、結局は組んで追い立てるのが一番いいんだって。そりゃあ自分じゃなくて、別の奴が見付けて隠れ組になっちまうかも知んねえけんど、もしかしたら自分がそうなれるかも知んねえじゃねえか。俺はそれしかねえと思うよ」
あれは平野のヤッさんだと、私には直ぐに分かった。
ヤッさんは勉強は苦手だったが、運動神経は人並み以上で、何といっても性格が良いのと明るいのが人気で、仲間の誰もヤッさんを悪く言う奴はいない。
「分かったよ、じゃあそうすんべえ。俺だって何も絶対に嫌だって言ってる訳じゃねえし」
オチ坊は形勢が不利とみて皆の意見に同意したようだ。
ゼン公は私を肘で突っつくと「まじいよ、組まれて懐中電燈に照らされたら一発でバレるよ。とにかくジッとしてべえ」と私の耳元で言った。
「ウン分かった。どっちみち動けねえからな」
金のトビの前に居た連中は、柵の中には全く注意を向けずに、ブツブツと文句を並べながら離れて行った。
ゼン公と私は見えない顔を見合わせながら、ニヤッとほくそえみながら「少し外の様子を見てみんべえかな。あんまり大きくめくらなければ大丈夫だんべ」と小声で言った。
私は「よせよ、その油断が一番危ねえんだぞ」とたしなめると、「平気だよ。だって奴らは今どっかに行っちまったもん。周りにはもう誰もいねえよ」と来た。
「バカ、あいつらが居なくなったって別の奴らが直ぐ近くに居るかも知んねえじゃねえか」
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- 平成19年4月8日(日曜日)
(7日の続き)
【晴】
「おめえの考えじゃねえな。映画か?」
私が鎌をかけると「ウン、この間の映画の中でさ、いい軍の二人がわる軍の奴らにピストルでバンバン撃たれるんだけどさ、いい軍の二人は周りの岩と同じ色の毛布を被るとさ、少し離れただけでも姿が見えなくなって、首尾よく脱出に成功するんだよ。だから俺さ、どっかで一度それを試してみたかったんだよ」
「そりゃあ昼間か?それとも夜?」
「昼間だよ。どこかの岩山の広え場所だったよ」
昼間でも見付からないのなら、夜だったら絶対に気付かれないだろうと、私もゼン公の考えた方法を実際にやってみようと思った。
「コーちゃん、ここに入って毛布をかぶんべ。そしたら、もうでけえ声でしゃべったり、ゴソゴソ動いたりしねえでいんべえ」
ゼン公はそう言うと、魚雷を乗せていた一対の石の台の間に体を入れて、私を脇に座らせると、持って来た毛布を頭から被せた。
ゼン公と私は、何だか知らないが妙におかしさがこみ上げて来るので、二人して笑いを堪えるのに必死だった。
どの位たったろうか、柵の外の辺りに人の気配がしているので、私はそっと毛布のすき間から様子を見ると、いたいた。鬼が4〜5組柵に寄りかかって広場の方に頭を向けている。
「あああ、どうしようもねえな。いっくら探しても全然見付からねえよ。奴らどこに隠れ込んだんだんべ」
聞き覚えのある声で栄町の奴らがボヤいていた。
「んなこと言ったって仕様がねえよ。だからバラバラで探さずに何組かで組んだ方がいいって言ったんべ」
「だけどよ、組んでやると最初に隠れ組を見付けられりゃあいいけんどよ、そうじゃなきゃ誰かさんのために手伝ってやってるだけじゃねえか。そんなのつまんねえよな」
いかにもチンケな理屈を言ってるのは、やっぱり糸井のオチ坊だった。
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- 平成19年4月7日(土曜日)
(6日の続き)
【晴】
坂を行き来している花見客に身を隠すようにして向う側に渡ると、鬼達が居ないのを確かめてから金のトビの北裏にとりついた。
そこは確かに暗闇の中に沈んでいるが、周囲からの光が少し入るので、誰か人が居れば直ぐに分かってしまう。
私は(こんな所に隠れたって直ぐに見付かってしまうのにな)と思った。
ゼン公は、そんな私の不安を見透かしてか「大丈夫だって、ちゃんと準備してあるんだから」と得意そうに言った。
「いったい何を準備したってんだ。まさか金のトビのてっぺんに登ろうなんて考えてる訳じゃねえだろうな」
「こんな事しねえったって、もっと確実な方法があるんだよ」
ゼン公はそう言うと、もとは魚雷を置くためのものと聞いている石の台の下から、何やら毛布のようなものを引っ張り出して来た。
私は台の直ぐ近くに立っていたのに、足元にそんな物があるなんて、全然気付かなかったのだ。
その毛布は、石の台や金のトビを囲ってある柵の中に敷き詰められた石畳とそっくりの色をしていたので分からなかったのだ。
「こんなもんでどうしようってんだ?」
「エヘヘヘ、この台の間に入って毛布被っていれば、直ぐそばに来ねえかぎり、俺達は最後まで絶対に見付かりっこねえよ」
私はゼン公の頭の良さにビックリしたが、(ハハーン、こいつまた映画の中にあった場面を真似しようってんだな)と直ぐに思った。
ゼン公は貧乏だったが、新水園の料金は小人10円だったから、やりくりをすれば月に何回かは何とか映画に行けたのと、いざとなればタダで入れる抜け道もあるのだ。
だからゼン公も、近所のガキ共の映画の話題について行けたし、むしろみんなを仕切っていた位だった。
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- 平成19年4月6日(金曜日)
(5日の続き)
【晴】
私は直ぐに承諾して「まかせるから案内しろ」と応えると、ゼン公はツツジの木の下を古墳山の方に這い進んで行くので「オイ、そっちに行かねえ方がいいんじゃねえか。金のトビの裏に出るには道を横切らなきゃなんねえぞ」と注意した。「大丈夫、こんな近くで道に出るなんて思いやしねえよ。それに大抵の奴は北の斜面は避けて逃げるから、かえって安全だよ」
私はゼン公は身が軽いだけでなく、頭もいいんだなと思った。
古墳山は広場の北にある金のトビを道ひとつ挟んだ古墳の頭で、広場から古墳山を右に見て北に下ると、左は公園裏、右はタヌキ便所の脇を抜けて弓引場の上に出る。
だから夜桜見物の人が多勢歩いているので、その人ごみにうまく紛れれば、道を横切って金のトビの裏に出るのは、それ程難しくはないのだが、もしもオニが金のトビの北裏斜面を捜索しているのに出くわすと一巻の終わりだ。
私達は古墳山の頂上の茂みの中に身を潜めて、北斜面の気配をじっと探った。
10分程様子をみて、どうやら誰もいない事を確かめると、ゼン公と私はのぼりくだりしている花見客の間を縫って、素早く道を横切ると、椎とツツジの密生している北斜面に潜り込んだ。
「ゼン公よ、ここにいたら直ぐに見付かるぞ。オメエの言っていた隠れ場所ってのはどこだよ」
「エヘヘ、エヘヘ、まあ俺のあとについて来て。絶対見付からねえ場所に案内するよ」
私に限らず、この辺の子供にとって、金のトビの広場と周囲の地形など、自分の家の庭と同じ位に知っているから、果たしてゼン公のいう絶対安心の隠れ場所なんて、本当にあるのだろうかと半信半疑だったが、他ならないゼン公が太鼓判を押している以上、任せても大丈夫だろうと思った。
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- 平成19年4月5日(木曜日)
(4日の続き)
【晴】
ゼン公は背が小さくて棒のように痩せているくせに、力はあるし人一倍すばしこかったから、相棒としては又とない奴だった。
オニ組と隠れ組に分かれるジャンケンの結果、私達は幸運にも隠れ組の方に回れた。
約20組の隠れ組を、約30組のオニ組が追うのだが、オニ組が金のトビの前で100数えている間に、逃げ組は一斉に散って行く。
今夜の戦場となる、金のトビの広場を頂上にした丘の斜面には、至る所に隠れ場所があるために、余程注意していないと、オニの方も直ぐにアブトを掛けられてしまうので、そう簡単には闇の中に踏み込んで来られない。
安全な距離を保ちながら、懐中電燈で注意深く暗闇を探り、一歩一歩と藪の中に入って行くしかないのだ。
運良く隠れ組を見付けたら「◯◯ちゃんめえっけた」とか、相手の名前が判らない時には「オニめえっけた」と言えばいい。
オニ組も相手を捕まえるために隠れている事もあるが、間違って他のオニ組に見付けられても、別に罰はなく、ただ無駄骨になるだけだ。
ゼン公と私は、オニ組が100を数えはじめると同時に、広場から東斜面に飛び込んで、密生しているツツジの枝の下を這い進んで逃げた。
枯葉と乾いた土ボコリの匂いが鼻をつき、いくら姿勢を低くしても、顔や頭を容赦なく枝が叩く。
目の前は真っ暗で、直ぐ近くに居るはずのゼン公を視覚でとらえる事は出来ないが、お互いに相手の気配を感知しているので、迷ったり離れ離れになる事はない。
「コーちゃん、奴らの裏をかいて広場に戻るべ。金のトビのうしろにヤンベーな(いい塩梅な)隠れ場所があるんだ」
ゼン公が声を殺して私の耳元で囁く。
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- 平成19年4月4日(水曜日)
(3日の続き)
【雨のち曇】
追うにしろ追われるにしろ、2人1組になるために組む相手をジャンケンで決めなければならない。
私の相手は栄町のゼン公で、一つ年下の頼りになる奴だった。
ゼン公は兄弟が6人もいて、おまけに弟の一人が重い病気だったから、学校から帰ると近くの酒屋にアルバイトに行っていた。
乳母車を改造した手押車に、注文品を山のように乗せて、お得意先に配達して回るのが仕事だった。
一日の内に店とお得意先を何度も行き来するから、私達はゼン公の姿をよく見掛けた。
「ゼン公よ、それ俺にやらせてくれ」
「いいけど荷を壊さないでよ。だんなさんに大目玉を食らうのは俺なんだから」
「大丈夫、大事に運ぶから」
私達は時々ゼン公に代わって配達の仕事をしたが、それは何もゼン公に同情している訳ではなく、私達にとっては目新しい遊びだったのだ。
ゼン公は手押車を押して行く私達を先導して、目的の家に着くと「まいど◯◯屋です。ご注文のものをお届けに来ました」と声を掛けながら、勝手口をガラガラと開ける。
「オイ、それとそれをおろして、ここに置いてくれや」
私達を指図しているゼン公の様子に、家の人がおかしそうに「あらゼンちゃん、今日は随分見習いさんが多いね。一人前ともなると大変だね」と話し掛けてくるのに「こいつらは面白づくで遊んでるだけなんです」と大人のように応えるから、家の人はその言い回しがおかしいと、また笑うのだった。
自分達と同じ年頃なのに、毎日一生懸命働いているゼン公は、私達の英雄の一人だったのだ。
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- 平成19年4月3日(火曜日)
(2日の続き)
【晴】
それでも全体の広さは優に数万坪にもなるし、南北に細長い台形の斜面は、ツツジや椎、モミジや桜やカエデの木が密生していて、茂みの下に身を潜めていると、かなりの至近距離から懐中電燈で照らさない限り、まず見付けるのは無理だった。
更に椎の木に登って、幾重にも重なっている葉の影に隠れられたりしたら、完全にお手上げだ。
だからオニは単独行動をしないで、何組かが協力して隠れ組を追わなければならない。
もうひとつ大切なのは、隠れ組が先にオニを見付けて、「アブト」と叫びながら相手にタッチすると、オニは再びオニを続けなければならないから、「アブト」を掛けられないように、いつも周囲を警戒していなければならない事だ。
つまり、逃げる方にも追う方を攻撃する機会が与えられているから、お互いに気を抜く間など全くない遊びなのだ。
ボンボリに照らされた夜桜を楽しむ大人達の脇には、子供達の壮絶な戦いが、静かに展開しているのだが、灯火を逃れて、わざわざ闇の中に踏み込んで来る者など、ケンカでもしようという奴以外にはいないから、夜の広大な公園の闇は、正しく悪ガキ共の天下となった。
自分達が通り過ぎた足元の直ぐ近くに、目をギラつかせた子供達が、じっと身を潜めている事など、おそらく誰も気が付かないだろう。
桜オニは、夜の花見の影の行事として、子供達の間で代々受け継がれて来たのだろうが、その始めは、いつの頃なのかは誰も知らない。
私が仲間入りを許されたのは、確か小学校4年生になった時だった。
その時から、私は本当の意味で、町内の子供集団に招き入れられたのだと思う。
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- 平成19年4月2日(月曜日)
(1日の続き)
【晴】
「だけどよ、こいつらを置いて行く訳にもいかねえし。どうすんべ」
「どうすんべもこうすんべもなかんべよ。とにかく一緒に連れて行けねえんだから何とかしろよ」
「何とかしろっていったって、どうすりゃいいんだんべ。全く困っちまったな。やっぱり連れて来るんじゃなかったよ」
「今更何いってるんだよ。早くどうにかしねえと時間がなくなっちまうぞ」
オブチンと7丁目のガキ大将のやりとりが長いので、早く始めたくてウズウズしている奴らは、何となく興ざめの気分になって来たのか「あーあ、こんな事なら来るんじゃなかった」とか「やるかやらねえのか、早くどっちかに決めてくんねえかな」とか、ブツブツと文句を言い出した。
「分かってるよ、もう少し待ってろよ、今なんとかするから」
何とかするっていっても、結局はミソッカスを家に帰すか、桜オニが終わるまで誰かに面倒をみてもらうしかないのだ。
そこで7丁目の連中がジャンケンをして、一番負けた二人の奴が、ミソッカスを家に送り届け、急いで引き返して参加するという事で決まった。
ジャンケンに負けた二人は、帰るのはイヤだとピーピー泣くミソッカスの頭を小突きながら、7丁目の方に戻って行く。
「送ったら坂を上って、そのまま隠れていいからな。場所は分かってるな。今夜は金のトビだぞ」
7丁目のガキ大将は二人の背中に呼び掛けると「さあ、やんべえか」と、両手をもみながら言った。
今夜の桜オニは金のトビだから、南は蓮台館前の道、東は神社以外の広場手前まで、西は崖まで、北はトビ山の裾野まで、つまり、頂上に金のトビと呼ばれる戦争記念碑がある広場になっている古墳山が戦場で、裾野をとり囲んでいる道の内側という事になる。
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- 平成19年4月1日(日曜日)
(31日の続き)
【晴】
昼間のかくれんぼなら、ミソッカスが入っても何とか遊ばせる事も出来るが、桜オニにミソッカスを加えたら、必ずケガをするか、迷子になるに決まっている。
ボンボリに照らされている所は、足元が何とか見える程の明るさだが、少し道を外れて茂みの中にもぐり込むと、足元どころか鼻をつままれても分からない程の闇に包まれているのだ。
そんな暗闇の中を、手探りで進まなければならないのに、まだ自分で小便も出来ないようなミソッカスが、例え誰かが付きっきりで面倒をみたとしても、絶対に無事で済むはずがない。
その前に5分もしない内に大泣きに泣き出してしまうに違いないのだ。
私だって連れがいるから何とかガマンしているが、隠れ場所によっては物凄く怖ろしくて、ワーッと叫びながら逃げ出したくなる事が何度もあるのだ。
いくら広いとはいっても、追って来るオニに見付かりにくい場所は、大抵が因縁のある所で、首吊りの木の下とか、夜になると女の幽霊が出る所とか、シクシクと泣き声が聞こえて来るとか、ウソだウソだと思いながらも、あの闇の重さと妙な静けさの中にいると、時にはどうしても耐えられずに、人の気配を求めて飛び出してしまい、オニに捕まってしまうのだ。
だからミソッカスを一緒に混ぜるなんて、とうてい出来る相談ではないのだ。
「ダメだよ、そんなの絶対に無理に決まってるだんべ。オメ何考えてるんだよ。ミソッカスがいるんじゃ桜オニなんか出来ねえよ」
オブチンは自分が仕切っただけに責任を感じたのか、いつもとは違って強烈に抗議するのだった。
■アトリエ雑記は平成12年12月15日からスタートしました。
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