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日記というより雑記でしょうか...
山里の片隅の梅林のそばに建つ150年昔の農家をアトリエに、日々画業に専念するかたわら、思いつくままの事柄を気負わずに書き綴っております。
心に止ったモチーフを写生するようなフィーリングと言えば分っていただけるでしょうか。なるべく毎日書いているので、気が向いたら覗きにきてください。
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御感想などをお聞かせ頂けると大変嬉しいです。よろしくお願いします。info@atelierhakubi.com
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- 平成19年10月2日(火曜日)
(1日の続き)
【晴】
運動会のプログラムには大抵きまった順番があって、午前中最後の種目は町内対抗リレー予選と決まっていた。
通学区域の10町内を2組に分け、上位3番までが午後の決勝で優勝を争うのだ。
リレーの種目は町内対抗だけでなく、4年生以上のクラス対抗や各学年の担任を中心とした先生方が争う学年担任対抗、女子種目の百足リレーなど盛り沢山だった。
しかし、予選を勝ち抜かないと決勝に進めない町内リレーは、何といっても一番花形だったし、出場者も3年以上の男女小学生をはじめに、中学生、中学生以上20才未満、20才代、30才代、そして40才代50才代とバトンを繋いで行くのだ。
30才代までは男女が出場するので、一組の出場者数は20名にもなるから、会場は割れんばかりの大歓声が延々と続くのだ。
2才年下の弟も4年生の代表になり、6年生代表の私と兄弟で出場する事になった。
コースは一周100m、第4走者の弟は3位でバトンを受け、その順位は第8走者の私まで動かなかった。
私は第7走者の女子からバトンを受けると、まるで体が爆発するのではないかと思う程の闘志で前方の敵に追いすがり、第1コーナーで抜き去ると、第2コーナーから第3コーナーまでの直線でトップの7丁目をとらえ、第3コーナーの手前で追い抜いた。
それでも7丁目は私の直ぐうしろに食いついているのが、相手の激しい息遣いを聞くまでもなく、強い気配で充分に知れた。
第4コーナーを抜けて白いテープが張られているゴールまでは、もう目と鼻の先だ。
テープを切った瞬間7丁目は「チキショウ」と絶句したが、私は内心(ざまあみやがれ)と密かに思った。
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- 平成19年10月1日(月曜日)
【雨】
秋の彼岸が過ぎて、次第に日がつまって来るようになると、やたらと学校行事が多くなって来る。
運動会だけでも、校内対抗に通学区域の町内対抗、そして旧市内の全町内が対抗する大運動会の3回。
その間をぬって各小学校の代表選手が競い合う、市内小学校陸上競技大会や、市内合唱コンクールと、その上位2番までの小学校が代表として出場する栃木県小学校合唱コンクール。
そして「学校祭」(あの頃は文化祭と呼んでいた)と続く。
運動会が運動部員達のひのき舞台なら、学校祭は文化部員達の活躍の場だ。
何より嬉しかったのは、ほとんどの行事が平日に行われたので授業がなかったのと、お寿司の弁当を作ってもらえた事だった。
私は最初に稲荷寿司を食べ、口の中が甘くなったところで、少し酸っぱい海苔巻を食べるのが好きで、かなりの量を夢中で食べたものだった。
どの位の量かというと、まず稲荷寿司は最低で10個、海苔巻は5本分は優に平らげた。
弁当箱だと入り切れないので、当然ヒゲッ皮(杉の木を薄くそいで作ったもの)で包み、それを新聞紙に包んだあと、風呂敷包みにして持って行った。
風呂敷の中にはリンゴやサイダー、それにお菓子もあったから、それを腕に抱えて行く訳にもゆかず、リュックサックに入れて背負って行くのだ。
だいたいリュックサックを背負うというのは、それだけで何か楽しい事をするのに決まっていたから、背中にズンと来る重みなんて全く苦にならなかった。
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