広重「名所江戸百景」昔と今
<Famous-place Edo 100 view>

安藤広重「名所江戸百景」 アトリエの前の住人は、義姉のご両親なのですが、とても物を大切にする方達で、古い物でもきちんと整理して、納戸や押入れ、古いタンスなどに保管してありました。
「使える物は何でも自由に使って良い」と言われたのを幸いに、今は亡きお二人の人柄を偲びながら、とても便利に使わせてもらっておりますが、探し物をしていると、時々面白い物が出て来ます。
これからご紹介するのは、安藤広重の「名所江戸百景」の印刷版で、昔の名所と現代のその場所とを比較できるようになっていて、とても面白いものです。
少し前の時代の新聞購読者用ギフトで、それを毎回大切に保存して、傷ひとつありません。
一部抜けているところもありますが、ひとりで楽しんでいてはもったいないと思いますので、このコーナーで関心のある方達にもお裾分け致します。
著作権とか、それに類した問題もあるのでしょうが、これで何か利益を得ようという訳でもないので、万一関係者の方がご覧になった時には、どうかご寛容のほどを。

2.玉川堤の花<新宿区>

2.玉川堤の花<新宿区>
2.玉川堤の花<新宿区>の写真  玉川上水は、羽村の取水口から四谷大木戸まで、約40キロは川となって流れ、大木戸からは地下樋で通し、江戸市中の飲料水に使われていた。大木戸は現在の四谷四丁目交差点にあった。通行人の荷物などを検査した市中関所で、江戸では、ここと高輪にあった。
「新宿御苑前を流れる玉川上水堤には、元文年中から延亨のころ(1736-47)までのうちに桜を植えた。そのようすは広重によって画かれている。それを見ると、御苑側は桜並木で、新宿通り側には宿場の遊女屋が並んでいる」(芳賀善次郎『新宿の今昔』)というわけで、それがこの絵。現在は暗渠化され、ここを甲州街道といっている。
 右下すみにちょっと見える橋を渡って右へ行くと、遊女屋の間を通り抜け甲州街道、つまり現在の新宿通りに出る。出たところが太宗寺である。寺はいまは街道から少し奥にひっこんでしまったが、昔から地蔵さんと閻魔さんで有名だった。
 漱石の自伝小説といわれる『道草』に、こんなくだりがある。「路を隔てた真ん向ふには大きな唐金の仏様があった。其仏様は胡坐をかいて蓮台の上に坐ってゐた。太い錫杖を担いでゐた…」
 この「唐金の仏様」が、ここの地蔵さんである。いわゆる江戸六地蔵の一つ。昔は街道ばたに東面しておいでになり、旅人たちの道中安全の祈りをお受けになっていたそうだが、今はなぜか、反対に西を向いていらっしゃった。
 新宿御苑は、もと信州高遠の藩主、内藤氏の屋敷だったことは今さら説明するまでもあるまい。明治以降は、農事試験場、宮内省植物御苑となり、国民公園として一般に開放されたのは昭和二十四年五月からだった。
 広重の桜並木は現在、御苑のヘイになっており、桜にかわってヘイ沿いに植えてあるのは、マテバシイ、クヌギ、ネズミモチなどである。
(写真=絵の木橋の位置と思われるビルの屋上から)

【このページは14日〜21日位毎に、次の作品に更新予定です】

1.日本橋江戸ばし 2.玉川堤の花

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